2014年11月3日月曜日

或る人への『安楽死』に関するコメント

こんにちは。

私の妹と彼女の夫はガンで亡くなりました。果たして、どの位の医療費がかかったのか知りませんが相当な経済的負担になっただろうと推測します。

これは他人事ではなく、いつ何時、我が身の問題となるのか誰も予想もできない切実な問題の一つですね。

また此の国の医療費負担軽減化の貴方の具体的提案は傾聴に値すると思いつつ拝読しました。これは癌のみならず経済的負担の大きい疾病にも拡張すべきでしょうね。

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国の医療費負担軽減化の対策も含めて、早急に行わなければならないことは、いわば『死に関する哲学』の構築ではないかと私は思っています。

『哲学』と言ってしまうと形而上の空論と思われがちですが、そうではなく、要するに『私たちは決して避けて通れぬ己の死に対する心構え』の構築ですね。

私はこのトピで『夏目漱石or森鴎外:死について』を書きましたが、今や『死』は鴎外・漱石のような巨人たちでの問題で留まっていたモノが、我々庶民レベルの切実な問題として迫ってきていることは誰も身近に感じていることでしょう。

特に問題となるのは精神・心の問題です。

我々人類の肉体というものは、恐らく其の寿命は長くて、せいぜい50年程度に「設計」されているのではないかと私は推測しています。

ということは我々の精神・心も、肉体にあわせて、せいぜい50年程度が寿命だと私は推測します。(私は人間という実体を「肉体」と「精神・心」に分離して考えるのはナンセンスだと思っています。人間は其れ自身一体の分離できぬ実在物だと思っています。)

医学等の発達によって、ともかく肉体は異常に・・・と言ってよいでしょう・・・生存できるようになってしまった。従って精神・心も異常に、付帯して長生きせざるを得なくなってしまった。

其れは恐らく生物種の人類としては必ずしも適切なことではないと私は推測します(但し素人判断です)。実は私は此の人類の異常なまでの長生きは生物種として人類の不幸だと捉えています。これは異論があるところでしょう。

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しかし、とにもかくにも長生きしてしまった人間・人類を良しと正当化しなければ、人類は自滅を選ぶしかありません。(いわゆる自然の摂理が、この悪腫瘍の如く増加した人類を何らかの方法で滅亡・整理するのかも知れませんが。)

それはともかくとして、長生きしてしまった人間・人類を正当化する、なんらかの思想・哲学・社会慣習・一般常識等の形而上及び形而下の根本的な方向転換が今日及び近未来において必須な急務だと私は思います。(過去においては、疾病、戦争等が人類を「適切な数」に結果的に調整していたのだと私は思っています。皮肉と言えば皮肉ですが、其れは自然の摂理と言えなくもないでしょう。)

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漱石が以下のように『硝子戸の中』で書いていることも其の方向転換を先取りしていると私には思えます。

『不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつゝある私は、自分の何時か一度到着しなければならない死といふ境地に就いて考えている。さうして其の死といふものを生よりも楽なものだとばかり信じてゐる。ある時はそれを人間として達し得る最高至高の状態だと思ふこともある。「死は生よりも尊い」』
 
そして『安楽死』という問題も、そのような方向転換の文脈で捉えたほうがよいと私は思っています。