2014年8月27日水曜日

或る女子高校生の歌

もう今から何十年か前、或る歌人がテレビ番組で女子高校生の短歌を紹介していた。
当時、全国女子高校生短歌大会という催しがあり、其の入選歌とのことであった。

たまたま偶然に見たテレビ番組だったが、そこで紹介された歌は私は今でも覚えている。

それは下記の歌だった。

『 信じない 信じられない 信じたい 投げつけられたトマトのように 』

『 黒板に書かれることが真(まこと)なら 白いチョークを一本ください』

青春という時期は、例えば『信じる』ということにも必要以上に敏感であり、歳とってみれは何でもないことにも、『投げつけられたトマト』のように心がグチャっと赤く傷ついてしまう。 

この青春という時期の痛ましさを、『 信じない・・・』のうたは良く表現されていると私は思ったものだ。

また『黒板に・・・』のうた。

私はこのうたを聞いたとき、映画『西部戦線異常なし』を連想した。

(小説でもそうでだろうが)此の映画のラストで、若き兵士が傍の花をとろうとした時、射撃され死んでいく。其の場面は印象的だった。

教室で『まことしやかな』ことを教師は黒板に書き、生徒たちを戦場へと送り出していく。

このような教師の欺瞞を、此のうたの作者である女子高校生は鋭く見抜いている。

ここにも青春というもののもつ鋭敏な眼が此の女子高校生にはある。
尤も現在も健在なら、いい歳のおばさんになっているだろうが。

歳をとるということは、青春の此のような『痛ましさ』や『鋭敏さ』から鈍感になっていくということでもある。 

このことは私たちの人生にとって、何か大事なものを失うことでもあるが、また反面、救いでもあると私は思っている。

2014年8月23日土曜日

真空と空集合(この宇宙の始まり)

(以下は私の勝手な迷想だ。だから真偽の保証はないし厳密さに欠ける。)

『脳とビッグバン』(立花隆著)にこんなことが書いてある。

『インフレーションを引き起こしたもの、それは真空のエネルギーです。真空というと、全く物質の存在の存在しない空っぽの空間(ニュートン的真空)のことだと思われるかも知れませんが、物理学的な真空は決して空っぽではないのです。量子論を真空に適用すると真空も「ゆらぎ」をもっているのです。実際、真空では素粒子が生成消滅を繰り返している、エネルギーのある状態なのです。』

そもそも、この世は『無』だった。『無』は真空か? そこらがよく分からない。ただ、この世の開闢(←それ以前は何か? そもそも、この質問自体が意味をなさないのか? )後、10^(-44)後、インフレーションと呼ばれる宇宙の超膨張が始まる。これはビッグバンではない。ビッグバンは、このインフレーション後(10^(-34)からの宇宙の大膨張を言う。

だから、ざっくり言って『無』を『真空』の謂いとしよう、この世は『無』なる『真空』から始まった、と考えよう。

ところが、この『真空』なるものは、量子論からみると『真空では素粒子が生成消滅を繰り返している、エネルギーのある状態なのです。』。

そして、この真空のエキルギーから、この世の一切がスタートする。時間が生まれ、空間が生まれ、素粒子が生まれ、星が生まれ、銀河が生まれ、生物が生まれ・・・挙句の果てに貴方が生まれ、私が生まれ・・・・・・・。

つまりは、この世の一切合財が『無』から生まれる!!!!
***
次に集合論の説く天地創造をみてみよう。集合論では、その理論の前提として、ただ一つのモノしか認めない。そのただ一つのモノとは・・・『なにもない』ことだ。
つまり『無』。これを空集合(φで表す)といい、これを0と名づけよう。さて次に0だけからなる集合を{0}1と名づけよう。次に、01だけからなる集合{0,1}2と名づけよう。このようにして、無(φ)からのみ自然数全てが生成されてくる。集合論的天地創造であり、『無』から全てが生成されるいくという意味で、この現実世界の宇宙生成とそっくれではないか!!! 『無』というものの豊穣さとでも言えようか。
0=φ
1={0}
2={0,1}
3={0,1,2}
4={0,1,2,3}

n={0,1,2,3,
・・・・,n}
ω={0,1,2,3,4,・・・・・}
ここでωは自然数全体の集合となっている。
話は、ここで終了はしない。集合論的天地創造は更に永遠に続くのだ。
即ち、
ω+1={0,1,2,3,・・・・・, ω}
ω+2={0,1,2,3,・・・・・, ω,ω+1}
ω+ω={0,1,2,3,・・・・・, ω,ω+1,ω+2,・・・・}
このような集合は順序数とよばれるのだが、この順序数の生成の有様は、まさに眼も眩わんばかりのモノ凄いというか息づまるほどの世界だ。数学というか人間の思考の世界は、パスカルではないが宇宙をも飲み込む凄さだ。

それにしても、『無』なるモノが、この現実の宇宙においても、集合論においても、それらの世界の豊潤さの源であるということは、不思議というか当然というか何とも表現し難き神秘さがある。
    



2014年8月22日金曜日

アニメ:Z^1+0.5→Z^2+0.5への変容

https://www.youtube.com/watch?v=c5eBP7e6iPA



1という数字は (0を除いて考えると) 自然数の最初の値であり、その意味で『ものの始まり』に対応している。

自然数のその次の数は 2 であるが、1 から 2 へと変化するとき、画像の変化から分かるように、「内臓部」が二つに「分裂」していく。

この様子は例えれば、此の画像は、1 という何もない原始の混沌の世界から何ものかへと形が形成していく様子の数学的表現だと言えそうだ。

即ち、例えば母親の胎内で胎児が形成されていく様子を連想させる。

この画像は此の世の 『ものの始まり』 とか 『ものがたりの始まり』とかの数学的表現だと私は見ている。

アニメ:放散虫:Z^2+sinZ+0.5 の「内臓部」

https://www.youtube.com/watch?v=6UlEH7Fgsss


複素平面という名の池には、Z^2+sinZ+0.5 という名のユニークな虫もいる。

アニメ:放散虫:Z^3+0.5の「内臓」の「ら線階段」

https://www.youtube.com/watch?v=olEai4HRg4c


とても面白い”放散虫”に、Z^3+0.5 がある。
この”虫”にも其の画像構造に顕著な自己相似性(フラクタル性)を随所に見出させる。

更に特徴的なことは、この”虫”には「ら線階段」が随所にあって、その「階段」は或る一点へと収斂している。

その特異点は、(静止画像で詳しく調べれば)、超限個あることが分かる。其の超限個がアレフ零なのか(たぶん、そうではないと思うのだが)、それとも他のアレフなのかという興味深い問題を此の画像は秘めている。

下のアニメの最後で現れるのが其の階段の一つであって、この階段は無限の彼方へと収斂している。

アニメ:放散虫Z^2+0.5→Z^3+0.5への変容

https://www.youtube.com/watch?v=YuvExaoSKp8

興味ある人へのコメント。

複素平面という名の池には、Z^2+0.5 や Z^3+0.5 という名の放散虫がヒッソリと棲息している。

これらの虫の「内臓」は「細胞分裂」して生まれ変わる!!

アニメ:マンデルブロ画像の分岐の成長

https://www.youtube.com/watch?v=stEuetB4yU8&feature=youtube_gdata


以下、興味ある人へのコメント。

マンデルブロ集合とは巡回式:Z←Z^2+Cにおいて、或る条件の元に発散しない(複素平面上の)点Cの集合を言う。
与えられた複素平面において発散する「早さ」はマンデルブロ集合外の点は各位置によって異なる。

上図は発散の早い順に従って表示されていく。発散の早さを見やすくするために発散箇所を赤黒線で表示した。

上図のアニメから分かるように発散の早さは、連続的に複雑に分岐しながら「成長」していく。

その分岐の様子は、さながら血管や肺の分岐の成長のようで面白い。

この分岐形態には或る法則があるに違いないが複雑過ぎて、私の手には及ばない。

最終画像での白い部分がマンデルブロ集合である。その定義からして、この部分には分岐の成長は永遠に達しない。
換言すればマンデルブロ集合の周辺部は無限に分岐しているのだ!!!

我が半生の読書ベスト10

これから挙げる本以上の本は今後、私の前に現れそうもないから、我が半生の読書における総括となるだろう。思いつくままに挙げてみよう。

・『3ポンドの宇宙・脳と心の迷路』(J.フーバー他、白揚社)
・『ホロン革命』(A.ケストラー、工作社)
・芥川龍之介全集(筑摩書房)
・『コンピューター・カオス・フラクタル』(C.A.ピックオーバー、白揚社)
・『わが人生の時の時』(石原慎太郎、新潮社)
・『インド夜想曲』(A.タブツキ、白水ブックス)
・『成語林』(旺文社)
・『能の表現・その逆説の美学』(増田正造、中公新書)
・『無限の果てに何があるか』(足立恒夫、知恵の森文庫)
・『推計学のすすめ』(佐藤信、ブルーバックス)

もうこれで10冊になってしまった。実は未だ未だ有る。
私は蔵書家では決してない。そして、今までコトあるごとに私は本を捨ててきた。捨てなければよかったと今更悔やむ本も多々ある。
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本を捨てるとき或る痛みを私は感じたものだ。
しかし本を捨てるという行為で、其の時私は私の心の平衡を保ったものだ。本は他の物とは違うからだ。

今度、私が本を捨てるときは、たぶん、或る意味で私を捨てるときになるだろう。

江戸しぐさ

Wikiからのコピペだが、私は此れが好きなのだ。お説教というものが大嫌いな私は此れは大好き。

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・傘かしげ
雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うこと。

・肩引き
道を歩いて、人とすれ違うとき左肩を路肩に寄せて歩くこと。

・時泥棒
断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪(十両の罪)にあたる。

・うかつあやまり
たとえば相手に自分の足が踏まれたときに、「すみません、こちらがうかつでした」と自分が謝ることで、その場の雰囲気をよく保つこと。

・七三の道
道の、真ん中を歩くのではなく、自分が歩くのは道の3割にして、残りの7割は緊急時などに備え他の人のためにあけておくこと。

・こぶし腰浮かせ
乗合船などで後から来る人のためにこぶし一つ分腰を浮かせて席を作ること。

・逆らいしぐさ
「しかし」「でも」と文句を並べ立てて逆らうことをしない。年長者からの配慮ある言葉に従うことが、人間の成長にもつながる。また、年長者への啓発的側面も感じられる。

などなど。

『とかく此の世は生きにくい』のだが此の程度なら誰でも出来るコト。江戸人は偉い。

数学と宗教(神秘主義)

カントールの超限集合論に対する関心は私は素人レベルでもっていて、いくつかの一般読者向けのその方面の本(勿論素人向け)を読んできたが、それらの本では、カントールの宗教への関心は否定的・批判的であった。但し、『「無限」に魅入られた天才数学者』(アミール・D・アクゼル著、早川書房)という本では、カントールの無限論とユダヤ神秘主義の関連を肯定的に書かれていて、それらの関連性について詳しく解説している。

しかし、他の本(と言っても数冊程度だが)、カントールの宗教への傾斜は数学者として邪道だとして否定的に書かれている。

ところが『無限とはなにか?』(ローレン・グレアム他著、オーム社)の本では、カントールの超限集合論は、宗教と密接しているとしている学派について書かれている。

カントールの超限集合論はフランスでは純数学として研究されたようだ。ところがモスクワ学派という学派があって、その学派ではカントールの超限集合論を神秘主義として肯定的に発展させたらしい。

実はこの本は私には『及びでない』本で私レベルの本ではないのだが、ちょっと覗いてみたくて図書館から借りた。どうせ読んでも私には理解できない内容だから、パラパラとその内容を覗き見ているだけで、いいかげんな読みかたでチャンとした感想などかけないが、カントールの集合論が宗教と深く関係している数学研究者がいる(モスクワ学派)というのは驚きだった。

たしかに無限という概念は宗教と深く関連しそうだ、というのは素人でも推定できるが、カントールの実無限の発見を、きちんと神秘主義と関連づけている数学者に存在するというのは新鮮な発見だ。そこらあたりをキチンと理解したいのだが、なにぶん当方の知識が貧弱過ぎて手におえない。

ただ、カントールが後年、彼の集合論を宗教と結びつけて考えていた、ということに対する否定的批判は、ある偏見だった可能性がある。神と無限の問題。これは世界の多くの玄人数学者が嘲笑的に避けているとしたら、これは偏見だと言えるのではないか。

モスクワ学派というのは、よく知られていないらしい。この本はそういう意味で貴重な本のようだ。尤も数学と神秘主義は歴史的には古いつきあいはあるのだが。

神の論理

孫引きだが『神狩り』(山田正紀著)というSFに面白いことが書いてあるそうだ。

『全ての複合論理命題は∨(OR)と¬(否定)で構成できる』

ことは、このテの話に興味ある人なら誰でも知ってるだろうが、実は一つの論理のみで,∨(OR)も¬(否定も表現できるそうだ。仮に此の論理記号を | と表して、その真理値表で以下のように定義する。

A B A|B
0 0 1
0 1 0
1 0 0
1 1 0

試してみれば分かるが、なるほど∨(OR)も¬(否定)も | で表現できてしまう。

ということは、

『全ての複合論理命題は | という一つの論理で構成できる』

ことになる。この | は「神の論理」と著者は言ってるそうである。

暇な人は試してみるとよい。

『はじめての現代数学』(瀬山士郎著)という本の、ゲーデルの話の終わりのほうで著者が確認している。

時間がそれを軽減し・・・

『時間がそれを軽減し和らげてくれないような悲しみはない』
これは、ローマの政治家キケロの言葉だそうで。

時がすぎていくということは人生でのなによりの癒しかも知れない。

一方でまた、『おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな』という言葉もある。

この言葉を少し変えて、『おもしろうてやがて淋しきしき祭りかな』としてみると、楽しみというものも、時が過ぎれば、なんとなく淋しいものになっていく。


時はすぎゆく・・これは人生の悲しみであれ、楽しみであれ、癒しであり過酷さだろう。

たとえ短い人生であっても・・・

たとえ短い人生であっても色々なことに遭遇する。
「成語林」では、この言葉の類として以下の言葉も紹介している。

『禍福(かふく)は糾(あざな)える縄の如し』
『吉凶は糾える縄の如し』
『一生は糾える縄の如し』
『禍(わざわい)は福の倚()る所、福は禍の伏(ふく)する所』
『禍も幸いの端(はし)となる』
                   などなど

どの言葉も、この世のなにごとも、「ものは考えよう」であり、
「禍転じて福となせ !!」という激励の言葉だろう。

「成語林」では、この言葉『人間万事塞翁が馬』の次に、寺田虎彦の言葉
『災害は忘れた頃にやってくる』が記載されている。


これら双方の言葉は人世の深いところで繋がっているのだろう。

TVドラマ『日本の面影』(1984年、NHK)

だいぶ昔、NHKで『日本の面影』というドラマが放送された。
小泉八雲の『日本の面影』を踏まえたドラマであったが・・・私は此の本は読んでいないので正確なことは言えないが・・・この本のドラマ化というより、島根県・松江などでの小泉八雲と彼の家族の生活を描いた佳品であった。
TVドラマなるものを全く観ない私には珍しく大変面白く観たものだった。
このドラマで異色だったのは、ラフカディオ・ハーンを演じたのが、あの『ウエストサイド物語』のジョージ・チャキリスであった。
私は此の配役に最初驚いたものだが、意外にも実に適役で私は此のドラマを観ていくうちに私は彼に大変好感をもつようになった。
恐らく、『ウエストサイド物語』にも優るとも劣らぬ彼の代表作と言ってもよい好演だった。小泉八雲の妻・小泉セツは壇ふみが演じたが此れも好演だった。また脇役陣も芸達者が並び充実したドラマだった。
***
このドラマは随所で、当時においても失われゆく『懐かしき日本の面影』が紹介されている。私は谷崎純一郎の『陰翳礼賛』が好きだが・・・此れは、もう一度再読したい本の一つだが・・・、小泉八雲は、日本の国の此の『陰翳』をこよなく愛したと言われる。このドラマでは其の『陰翳』も映像化されており、未だ此のドラマを観ていない人は機会があったら観ても損はないと思う。
『風情(ふぜい)』と云う言葉自体、死語になりつつある此の国において、まだ其の残滓は残っているのであり、眼力のある人は其れを現在も発見できるだろう。 
***
そもそも『幽霊』のいない国は詰まらない国である。
それは断言できる。

なぜなら、そのような国は『光』が無いからだ。『夜』がなくて、どうして『陽光』があり得よう。

2014年8月21日木曜日

大学祝典序曲(ブラームス)の思い出、二つ。

一つめは私が大学受験し、「ハナ・チル」の電報をもらって、浪人生活、うん年後、目出度く、入学合格した、あの春、入学式典時に此の序曲が厳かに流れてきたのだった・・・・ということ。

二つめ。
映画『スペンサーの山』のこと。
この映画をみたのは、随分昔で、ちょっとネットで調べたら1963年製作だから、私が此の映画を観たのは、かれこれ40数年前になる。

この映画は当時アメリカの良心を描いたと評された佳品であった。山で生計を立てている質朴で貧しくはあるが信仰篤い家族を描いた、ちょっと切なく、しかし、とても、さわやかな映画だった。ヘンリー・フォンダとモーリン・オハラが演ずる夫婦には息子がいて、この息子は学問が好きなのだが、家が貧乏である等のため其の夢を断念していた。

その息子の夢をかなえさせる物語だったが、この映画で流れてきたのが此のブラームスの大学祝典序曲だった。学問好きの貧しい青年への力強い励ましのメッセージが此の音楽だった。


映画をみた後、とても気持ちの良い余韻が残る映画だった。私はブラームスの大学祝典序曲を聴くたびに此の映画を思い出す。

10層プリント基板での電子回路設計

最近の電気会社等の電子回路設計部門での設計事情は知らないが、私が電気工場の実験室の片隅で自身が設計した回路基板と格闘していた頃・・・もう30年以上前の昔話だが・・・回路設計での至上命令の一つは、いかにして電子回路の実装密度をあげるか、だった。
 恐らく現在もそうだろうが、一般に電子回路機器は、当時は多くて20枚程度のプリント基板 (この各基板に電子回路が実装される)と、それらの基板を電気的に接続するマザーボードと称するプリント基板から構成されている。それらに必要に応じて他の部品が適宜接続されている。
通常、各基板はK1サイズ ( 横幅:30cm,縦幅:20cm,厚さ:数mm程度だったと思う) のものが使用されていた。
 その各基板の実際の電子回路図はA2用紙一枚に原則として書かれた。だから一般に一つ電子回路機器の回路図はA2用紙で数十枚になった。
当時は余程の制約がない限り、両面に配線パターンがある2層基板が使われた。原則として部品そのものは片面に実装される。
ところが機器の制約上、私は10層基板を使用して回路設計をしなければならなくなった。実装密度をあげるため、そうせざるを得なかった。
その基板の10層のうち1層はベタアース面、他の1層は電源面として、他の8層で実装部品間の接続をした。これにはマイッタ。
比喩として言うと、10次元空間を考えているようなものであった。2層基板程度なら、まぁ、どうということはない。
しかし、10層となると、そのヤヤコシサは経験した者でなければ分からないだろう。
***
さて、その試作品の姿は・・・当然、ジャンパー線だらけであった。
ジャンパー線とは、これは業界用語だろうが、パターン設計ミスで其の箇所を切断し、通常の細い電線で正常に接続することである。まぁ設計ミスの具体的象徴のようなもの
***
ともあれ、正直なところ、よほど好きでないかぎり、電気工場の電子回路設計屋などになるものではありません・・・

『神の数式』

以前、NHK・BSで『神の数式』というタイトルの番組が2夜にわたって放送された。
此の世の物理現象を一つの方程式で表そうとする理論物理学者たちの苦闘を記録した科学ドキュメンタリーであった。
***
私は此のテの番組の愛好者である。

以前放送された『リーマン予想』とか『ポアンカレ予想』という数学の超難問の内容が一般視聴者向けに放送されたことがある。これらも大変興味深くみた

恐らくプロの数学者でも其のような数学の難問を解くのは勿論のこと、其の命題そのものを理解するのは必ずしも容易ではあるまい。いわんや、一般視聴者においてをや、である。(但し、ポアンカレ予想は最近、ロシアの数学者によって解かれた)

此のテの番組の意義は、言うまでもなく其の解を視聴者に求めているのではなく、そのような問題が『象牙の塔』のみに隠避されている弊害を少しでも無くすことであろうし、また此のような問題の存在を知った少年・少女達が科学に眼を開く動機となるような啓蒙にあるのだろう。

***
足立恒夫という数学者は『無限の果てに何があるか』という一般読者向けの数学の本で、此の本を書いた動機を以下のように書いている。

『数学という学問は一つの巨大な文化の体系である。(中略) ぼんやりとでも現代数学の思想をわきまえていなければ、世界観に欠陥があるのではないか、という挑発的な問いかけのもとに書いた。』と。

恐らく、現代物理学においても同様なことが言えるだろう。

ぼんやりとでも現代物理学が其の先端において何を問題にしているのかということを知らないとしたら、其の人の世界観に欠陥があると言えるかも知れない。

現代は好むと好まざるとに関らず科学技術を無視しては生きていけないからだ。

***
同様なことは金融等の経済学にも言えるのだろうし、私たちは憲法の基に生きているのだから、ぼんやりとでも其れらの知識がなければ世界観に欠陥があると言われても仕方がないのでだろう。

しかし、そう考えていくと生身の人間において、今日ただいまの世界を生きていく上での、ぼんやりとでも常識的な欠陥なき世界観を持つことは容易ではない。

***
では今日において『ぼんやりとでも常識的な欠陥なき世界観を持つ』にはどうしたら良いか。
その解答は私は残念ながら分からない。

***
さて『神の数式』について。
たしかデカルトだったか『神の存在を証明した』そうである。
他の人はイザ知らず、私は此の意味が理解できない。

神は証明できるのか? 

同様に『神の数式』の意味が私には理解できない。
私の頭の悪さを棚に置くとして、これは或る種のメタファーとしか私は理解できない。

***
この番組で或る物理学者が言っていたことが印象的だった。

彼は『神の数式』の発見に其の研究生涯を捧げている人だが、以下のような意味のことを言った。

『神の数式を発見できないのは淋しい。しかし其れが発見されたとしても、淋しいだろう。』

この言葉あたりに案外『神の数式』の真の意味が在るように私には思われる。
 

『無言歌集』(メンデルスゾーン)



20年程前、私は図書館から音楽CDを借りて其れをコピーしていた時期があった。

図書館に置いてあるCDは古いものだからコピーは容易にできた。

私は根がケチだから買うよりもタダでコピーできることは大いに魅力があった。

実にケシカラン男であったわけで私のような人間がいるから今やCD等はコピーできないようになっているようだ。

***
コピーしたCDに掲題のものがある。

実は此のCDは図書館の音楽教材棚に並べられていたCDで、たぶんピアノ演奏初心者練習用のものだろう。

私は音楽は小学生の頃、ハーモノカを吹いていたことがあるが其れ以外楽器には全く無縁な者であって今や口笛さえ吹くのに苦労するし、勿論、譜面など全く読めない。

中学生の時、音楽の理論めいたものの初歩の初歩を習った覚えがあるが其れも完璧に忘れてしまった。

しかしドイツ3大Bはバッハ、べートーベン、ブラームスと習った気がするが、そんなロクデモナイ知識は現在音楽を聴くうえで何の役にも立たない。

***
というわけで私は音楽については押しも押されもせぬ完全な素人であるが、聴くぶんには人並みに聴く。

そんな完璧な素人の判断であるが掲題のCDの演奏は、いかにも音楽の先生が譜面どおりに几帳面にピアノを弾いているように私には聞える。

およそ『けれん』とは、ほど遠い弾き方に聞こえる。音楽の教材なんだから、無用な虚飾は排しているように聞こえる。

私は掲題の曲は此のCDしか聴いたことはないのだが、たまにプロの他の演奏家が弾く此の曲をラジオで聞くことがある。

そういうとき、私は、違和感を感ずることが多い。
その演奏家の此の曲の解釈なんだろうが、なんとも『いやらしく』私には聞こえてしまうのだ。その演奏家の『思い入れ』に鬱陶しくなるのだ。

たぶん此の私の感じ方は、音楽教材のCDに耳慣れているせいだろう。

私は掲題の曲は、音楽の先生による『真面目に、几帳面に』弾かれたものでないと、どうも虚飾を感じてしまうように刷り込まれたらしい。音楽を聴くにも『刷り込み現象』に似たものがあるようだ。

ともかく慣れというものは恐ろしい、というより何事も初体験が肝心らしい。

「みるい」という方言

私は今から70年程前に遠州の片田舎に生まれました。故郷を離れてから既に半世紀が過ぎていますから、この地方にあった『みるい』という方言が現在使用されているどうかは知りません。ただ、この方言に関して、ちょっと良い話があるので紹介しましょう。
***
もう随分昔のことです。私が故郷を離れてから、だいぶ過ぎていた頃ですから、昭和四十年あたりだと思います。その頃の或る日、私は何気なくラジオを聞いていました。

 『敗戦前後の忘れ得ぬ体験談』という趣旨の番組でした。その番組で、或る女性が『みるい』の体験談を話始めたのです。そのラジオ番組を、ボンヤリと聞いていた私は、思わず聞きいりました。上記したように『みるい』とは我が故郷の方言だったからです。その女性の方の体験とは以下のようなものでした。
***
あの敗戦直後、この女性が、幼い子を連れて、静岡県の田舎に疎開してきたそうです。どういう理由で、その田舎に疎開してきたかは覚えていませんが、ともかく、この若い母親とその幼い子が、見も知らない土地にやって来た。来たものの、見知らぬ土地故、道端で途方にくれていたそうです。当時のことですから食糧難はあたりまえのことで、この親子も、その例外ではなかった。腹を空かしている我が子を連れての見知らぬ土地への疎開ですから、随分と心細かったそうです。

そんなわけで道端で途方にくれていたとき、その土地の人らしい、お婆さんが、ふと通りかかった。そのお婆さんは、その若い母親と幼子の事情を察したのでしょう。幼い子に近寄り、なにがしかの食べ物( おそらく饅頭か何かだったんでしょう )を差し出したそうです。そして、こう言ったそうです。『まだ みるいんだからねぇ』と。そう言って立ち去ったそうです。

その女のかたは、都会育ちでしたから、この『みるい』という言葉は知らなかった。しかし、そのとき、その言葉の意味を彼女は真に理解できたそうです。
***
勿論、私は『みるい』という言葉の意味を知っています。標準語に直せば『未熟』という意味になるでしょう。しかし、この『みるい』には、単に『未熟』だけではないニュアンスがあります。このお婆さんが使った『まだ みるいんだからね』の『みるい』には、『まだ成熟しきれていない者に対する慈しみ』とも言えるニュアンスがあります。 この若い母親は、此の知らない方言に、このニュアンスを感知し、この『みるい』という言葉が忘れられず、『いつか、お会いして、あのときのお礼を言いたい。』と語っていました。
***
方言というものは、いわゆる標準語では表現しきれない、微妙さ・繊細さが、ニュアンスとして言葉の奥に沁みこんでいるものです。現在、全国津々浦々、標準語がゆきわたったことは勿論良いことです。しかし、是非、残しておきたい方言も全国津々浦々に在るに違いない。言葉(方言)というものは、それが使われる人たちの実生活に密着した大事な文化財と言っても過言ではないでしょう。その一つの例が、若い母親が耳にした『みるい』だったのです。『みるい』だからこそ、彼女は、その言葉が忘れられなかったのでしょう。

私の世界観を変えた三つのこと

少し大げさな言い方だが我が半生を振り返ってみるとき、私の『ものの見方』を変えたな、と思うコトが3つほどある。  こういうことを書くと衒学趣味と思われる方がいるかも知れない。私はもう少しで古希。今更、衒学でもあるまいし、又私のブログを見る人は限りなく零に近いから、そんなことは杞憂を取り越してアホくさい心配事である。
***
・1番目( 個と全体について )
1980年代頃、いわゆるニュー・サイエンスが流行した。その流れの一つにライアル・ワトソンという人がいた。私はこの人のファンであった。この人が解説した『生命潮流』という番組がTVで放送された。本もある。本はともかくとして、テレビで放送された或る短い記録映画をみて私は愕然とした。それは、ある菌類の生態を記録したものだった。その菌類は食物が充分なときは個々で活動している。しかし、食物が不足してくると、その菌類は互いに集まってきて、一つの生命体に変身してしまう。動き回るのも全く一つの生命体として活動する・・・という見事な記録映画だった。

要するに『個と全体』という形而上の問題が、現実の菌類で具現化していたのだ。
また私たちの住む地球を一つの生命体としてみる、というJ.E.ラブロックの『ガイア仮説』も、その頃発表され、私はそれにも大いに感化された。

『個と全体』というコトは分離して考えられるものではなく、あるときには『個』、あるときには『全体』となるという分離し難いモノである、という謂わば『哲学的命題』が、その記録映画は現実の菌類の生態でまざまざと私は見せ付けられた。この現実世界の生態を見て私の世界観は確実に変わったように思う。

・2番目( 無限には大小がある )
これを知らされたとき私は大きな知的ショックを受けた。私には思いも及ばないコトだった。凄いと思った。G.カントールの実無限の発見の話である。更に、順序数という考え方は更にショックだった。人間の思考というものの凄さを具体例として見せつけられた、というショックであった。このシヨックは3番目と関連してくるのだが今だに私は感じている。

・3番目 (人間の理性には限界がある )
ゲーデルの不完全性定理である。この定理を完全に理解するには数学基礎論のドクターコースにいかなければ不可能だそうだが、その定理の証明の理解にはそうだろうが、この定理の結論は一応は理解できる。つまり、人間の理性には原理的に限界があるというのだ。私はそれを知らされたときもショックを受けたし未だ受け続けている。
***
簡略に書いたが以上が我が半生において、私の世界観を根底から変えたと思っているコトである。私は以上の3つのことを今で゛も反芻し私なりに考え続けている。
この3つのコトに比べれば人類の月面着陸は私には知的ショックとしては少ない。大変な人類の偉業であることは分かるが。

一電子回路設計屋の思い出


小学生の頃、私は江戸川乱歩の探偵小説が好きだった。明智小五郎が、例えば紫式部を読んでいるとはとても思えない。数学か物理の本を読んでいるに違いない。という理由で、私は当然のごとく自分は理系に進むと決心していた。笑うなかれ。

あの頃、電子工学というものに何の根拠もなく私は憧れていた。電子、いいじゃぁないか! 神秘的だ!。 明智小五郎も好きに違いない!。 という極めて幼稚な理由で( 幼稚!! いいじゃぁありせんか幼稚で・・・)、幼児が綿菓子を求めるが如く、私は電子工学者になるべく猪突猛進した。あの頃( 中学生の頃か )、何の理由もなく法学部だの経済学部などは軽蔑しきっていた。文学部は・・・私は探偵小説が好きだったから、まぁ「許してやろう」と思っていた。笑うなかれ。
***
というわけで、結局、私はある電気会社の電子回路設計者に目出度くも、あいなった。
ところが・・・。
***
たぶん多くの人は、電気会社の電子回路設計部という世界の実態を知らない人が多いだろう。
 以下は私の、あくまでも私の個人的な「実態」の一部を披露してみよう。その実態は、『春はあけぼの・・・』とは全くかけ離れた異質の世界であり、極端に言えば地獄の如く冷徹な世界であった。あまっちょろい世界では、ゆめゆめ、ない。
***
言うまでもなく、電子回路設計というのは、いわば自然現象を「設計」する。その自然現象は人情などさらさら通用しない世界だ。あたりまえのことだ。自分が設計した回路が試作装置に組み込まれ、いざ電源スイッチを入れて煙が出たとき・・・試作機というものは先ず煙が出るものなんだよ、ーーー即ちトラブルが露呈するのだが、そこから回路設計屋の悪夢が続く。
***
電子回路は冷徹に自然法則に従う。煙が出ようが容赦はしない。設計者が青ざめてトラブルを解決すべく徹夜しようが、『駄目なものは駄目』(この言葉アノ人、言ってなかった)と突き放される。『ああ、エンジニアになるんじゃぁなかった』と何度ため息をついたことか。しかしエンジニア冥利につきる時もないではなかった。それは回路設計計算をキチンとし、その回路がキチンと動作した瞬間だ。「やった!!」。この瞬間ね。至福な時は。しかし大抵は青い顔して、測定機器に囲まれ、孤独に、自身が設計した回路盤と格闘している時のほうかが圧倒的に多かった。
***
設計時に叩き込まれるのは、Q・C・Dの重要性。Qは品質。Cはコスト。Dは納期。Q,Cはともかくとして、現実生活者として一番苦しめられるのはD。納期近くなると、全ての設計者は残業が続く。Dの数日前は、ほぼ徹夜が続く。若くなければエンジニアなど、やってられませんね。ともかく、いろいろな意味でキレイコトが通じない世界ですよ。
 『世の中のためになる機械を作る』とか或る趣味人の人が言ってましたが、『それはそれは、ようござんすね。こちとらは、それどころでは、ありませぬて。』 これが、少なくとも私の偽わざる本音だった。
***
私は10層基盤を設計したことがある。基盤というのは、たとえばPCを空けると、青色の板があるでしょう。あれのこと。現在はどうか知らないが、当時は、その板の両面にプリント配線をしていた。配線と言っても部品同士を3次元的に配線するのではない。部品が乗った板(盤)の面そのものに配線するのだ、と言っても理解できないかも知れない。
10層基盤の配線というのは、あらっぽい感じで言うと、部品を10次元で配線すると思えばいい。この10層基盤の設計にはマイった。
***
などなど。みなさんの周りにある電気機械には、上記のごとき、エンジニア達の汗と涙がにじんでいるのです。そして、もし貴方のお子さんがエンジニアで、青い顔して帰宅されたら、どうか、そのお子さんの『自然現象との戦い』に思いをはせてやってください。
 

咳をしても一人

咳をしても一人
有名な尾崎放哉の俳句です。
以下はWikpediaに掲載されている尾崎放哉の人物像です。
『吉村昭によると、性格に甘えたところがあり、酒がやめられず、勤務態度も気ままなため、会社を退職に追い込まれたという。(中略) 吉村が1976年に取材のため島を訪ねた時、地元の人たちから、「なぜあんな人間を小説にするのか?」と言われたほどで、「金の無心はする、酒癖は悪い、東大出を鼻にかける、といった迷惑な人物で、もし今、彼が生きていたら、自分なら絶対に付き合わない」と、吉村自身が語っている。』
貴方は此のような人物と関りをもちたいですか?
たぶん、NOでしょう。私だって後免こうむりたい。
しかし掲題の俳句に私は惹かれるのは事実です。此の寂寥感は、たった5文字なのに、いや、たった5文字であるが故に、おそらく全ての人が共感するであろう普遍性をもっていると私は思います。そのような、おそらく時空を超えた普遍性を持つ
俳句というより芸術を生み出す代償が上記のような人物であらねばならぬとしたら、芸術とは何と皮肉で残酷なものでしょう。
私たちは、概して、芸術の果実を飽食しながら、その芸術を生み出した人たちの惨憺たる苦渋を忘れがちです。しかし、それがイケナイということではない。
芸術というものは本来そういうものでしょうから。
ただ私はここで芥川龍之介の以下の警句を思い出さざるを得ないのです。
『天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。同時代は常にこの一歩をの千里であることを理解しない。後代は又この千里の一歩であることに盲目である。同時代はその為に天才を殺した。後代は又その為に天才の前に香を焚いてゐる。』
この警句の極端な例が尾崎放哉であり、種田山頭火でしょう。
いや、彼らほどでなくとも、私たちが現在『香を焚いてゐる』芸術たちの果実を、私たちは無邪気に飽食している。

繰り返しますが、其れがイケナイということではない。芸術というものは、所詮、そういうものでしょうから。ただ、私たちは其の飽食の途中での一瞬でも、その作者達の苦悩に思いを馳せることも決して無益なことではありますまい。

ネアンデルタール人の「死の発見」

最近、ネアンデルタール人の埋葬が改めて確認されたという。
ネアンデルタール人が埋葬という行為をしていたということは、彼らは『死』というモノを知っていたことを意味している。

彼らが其の『死』について、どのような概念をもっていたかは私は知らないが、『死というモノがある』ということは少なくとも認識していたようだ。

ホモ・サピエンス・・・ネアンデルタール人以降の人類・・・以外の生物でも恐らく『死』というモノを認識している生物は私は存在するのではないかと推測するがどうであろうか?

即ち、埋葬という行為をする生物はホモ・サピエンスだけだろうか?

私の勘違いかも知れないが、象が埋葬と似たような行為をするという記事を見たような記憶がある。

もし其れが事実ならば象は『死』という概念を、ホモ・ピエンスほど明瞭ではなくても持っていることになる。

***
アーサー・ケストラーは彼の著書『ホロン革命』で、ホモ・サピエンスの先天的病いとして彼らの・・・ということは我々人類の、ということだが・・・『死の発見と其の拒絶』について書いている。

『死の発見』が、どうしてホモ・サピエンスの先天的病いとなるのか興味がある人は其の著書を読んでもらいたいが、アーサー・ケストラーの説が正しいとすれば人類の祖たるネアンデルタール人は既に先天的病いを背負っていたことになる。


そういう意味で此の記事は私には興味深い。

歳をとるということ。(エリック・クラプトンのこと)

エリック・クラプトンのライブ・コンサートの日本公演の様子が先日、NHKアーカイブで放送された。確か2001年のライブの再放送だったと思うが、番組では此れが最後の世界ツアーで其の締めくくりとしての日本公演だとの解説していた。
(しかし、ネットで調べると2014年の日本公演も予定されているらしい。)
***
実は私は彼自身も彼の音楽(ブルースやロック等)も全く無知だったが、ただ私と一歳違いらしいこともあって、また他の観る放送番組もなかったので、ちょっと覗いて観た。
私は此のテのコンサートは今迄観たことはなかったが、先ず彼の演奏スタイルが気に入ったこともあって最後まで観てしまった。
海兵隊員のような短髪で、半袖の地味な紺色Tシャツとジーンズ姿。ありふれたスニーカーを履いた足でリズムをとる何気ない演奏姿が、いかにも年輪の積み重ねを感じさせた。
そして私が最も気に入ったのは彼の顔である。歳を重ねた、まさに男の顔であった。
ギター云々よりも私は此の男の顔の味に惹かれた。
男性にも二種類あって、歳とるほど顔に味が出てくる者と、そうでない者がある。
概して男は後者が多いが、なかにはツマラナイ顔になる者もいる。
どのように生きてきたかは男は顔に歴然と現れるものだ。
歳をとる、ということは多くの男にとって無残なことではない。
なぜなら、多くの男は其の人生の積み重ねを深い陰翳として顔に残すからである。
私は其のような顔をエリック・クラプトンの顔に見た。その顔の魅力こそ私に此のコンサートを最後まで観てしまった主要な理由であった。
***
女性にとって歳をとるということは、どうであろうか? 特に顔において?

***
彼は曲の演奏が終わると、アリガトとかドーモとか呟くように言うことが、たびたびあった。
彼がイスに座って何かの歌を歌い終わったとき、例のごとくドーモと小さな声で言った。そのとき彼は観客を見ていなかった。ふと、うつむいてステージの床をボンヤリと一瞬見たのだった。そのときの彼の表情は・・・確かに或る虚脱感を表していた。
この日本公演は海外公演の最後ということだったから、彼は疲れていたのかも知れない。
しかし私は其れだけでは無いような気がする。
彼が見せた一瞬の其の虚脱表情は、恐らく、彼の内面の深いところから由来しているものだと思われる。しかし其の由来の真実を知るものは恐らく此の世で誰もいまい。 (およそ人の真実とは決して他人には知ることの出来ぬものだ。)
彼の虚脱表情を換言すれば、彼の孤独性と言ってもよい。あの時の彼の一瞬の表情は誰も知り得ない彼の孤独を一瞬垣間見せたのだ。
この出来事は数秒に満たなかった。エリック・クラプトン本人すら気づかなかったに違いない。
しかし、私は其れを見逃がさなかった。

『歳をとる、ということ』。この厳然たる真実を、私は彼の其の一瞬の表情から我が身を刺されるように感じとった。



 

『鮎宿で薩摩弁を問い返し』

もう20年以上も前のことだがNECのPC-VANの或るSIG (此のサイトのコミュニティのようなものだが) で、郡上八幡が話題に上がった。
此のSIGには5,6名の常連がいた。私も其の一人だったが、その常連の一人に、確か「たねり」というHNだと記憶しているが、少しクセのある人物がいた。
皆が「白」と言えば、「黒」と云わないまでも、その「白」にイチャモンをつける一言居士であった。彼の日頃の発言からして、およそ風流とは無縁な『乾いた』人物に見えたものだ。
郡上八幡の郡上節の『かわさき』を遠くで聞くともなく聞いているのは良いものだ、との私の発言がキッカケで郡上八幡の話題で盛り上がったものだった。
そのとき、例の人物が、ふと自作の句を披露した。それが掲題の俳句であった。
すなわち『鮎宿で薩摩弁(訛り)を問い返し』。
それを見たとき私は良い句だなと思った。しかし、強いて其のことは発言しなかった。他の常連たちも何の発言もなかった。結局、彼の披露した俳句は無視される形で話題は続いた。
その無視は、彼の日頃の一言居士振りの結果だったのだろう。
俳句の素人である私は其の句の客観的な評価は出来ない。しかし盆踊りの盛夏の季節になると郡上八幡の『かわさき』の哀調と共に彼の句を常に思い出す。

2014年8月12日火曜日

coshZ+Cマンデルブロ画像の不思議






一番上の画像は、cosh Z + C (|CXi|<2π,|CYi|<1.5π) マンデルブロ画像である。収束部分が黄色の部分。

この画像の中に示した 1 と 2 の部分(少し見づらいが)を拡大した画像が、各々、2番目の画像と3番目の画像である。(いずれの図も収束部分は黄色の部分。)

さて、3番目の画像は、明らかに、Z^2+C マンデルブロ集合(黄色の部分)である。

また、2番目の画像にも、Z^2+C マンデルブロ集合(黄色の部分)の一部が見える。

実は、ここに示した部分に限らず、下図の cosh Z + C マンデルブロ画像の、いたるところで、Z^2+C マンデルブロ集合画像が存在している。

ここで疑問。

『cosh Z + C マンデルブロ画像の中に、なぜ、Z^2+C マンデルブロ集合画像が存在するのか?
複素関数が異なるにも関わらず。』

実は、cosh Z + C マンデルブロ画像には、いたるところで、Z^2マンデルブロ画像が存在している。 何故か?

数学と宗教(神秘主義)

カントールの超限集合論に対する関心は私は素人レベルでもっていて、いくつかの一般読者向けのその方面の本(勿論素人向け)を読んできたが、それらの本では、カントールの宗教への関心は否定的・批判的であった。但し、『「無限」に魅入られた天才数学者』(アミール・D・アクゼル著、早川書房)という本では、カントールの無限論とユダヤ神秘主義の関連を肯定的に書かれていて、それらの関連性について詳しく解説している。

しかし、他の本(と言っても数冊程度だが)、カントールの宗教への傾斜は数学者として邪道だとして否定的に書かれている。

ところが『無限とはなにか?』(ローレン・グレアム他著、オーム社)の本では、カントールの超限集合論は、宗教と密接しているとしている学派について書かれている。

カントールの超限集合論はフランスでは純数学として研究されたようだ。ところがモスクワ学派という学派があって、その学派ではカントールの超限集合論を神秘主義として肯定的に発展させたらしい。

実はこの本は私には『及びでない』本で私レベルの本ではないのだが、ちょっと覗いてみたくて図書館から借りた。どうせ読んでも私には理解できない内容だから、パラパラとその内容を覗き見ているだけで、いいかげんな読みかたでチャンとした感想などかけないが、カントールの集合論が宗教と深く関係している数学研究者がいる(モスクワ学派)というのは驚きだった。

たしかに無限という概念は宗教と深く関連しそうだ、というのは素人でも推定できるが、カントールの実無限の発見を、きちんと神秘主義と関連づけている数学者に存在するというのは新鮮な発見だ。そこらあたりをキチンと理解したいのだが、なにぶん当方の知識が貧弱過ぎて手におえない。

ただ、カントールが後年、彼の集合論を宗教と結びつけて考えていた、ということに対する否定的批判は、ある偏見だった可能性がある。神と無限の問題。これは世界の多くの玄人数学者が嘲笑的に避けているとしたら、これは偏見だと言えるのではないか。

モスクワ学派というのは、よく知られていないらしい。この本はそういう意味で貴重な本のようだ。尤も数学と神秘主義は歴史的には古いつきあいはあるのだが。

シェーラーの定理

『「無限」に魅入られた天才数学者たち』(早川書房)という本がある。

この本の最後に、この本が書かれた当時(和訳版は2002年)に発見された、集合論の一つ成果としての定理が解説ぬきに紹介されている。いわくシェーラーの定理。
書いてみよう。

『いかなるnに対しても、2^アレフn<アレフωならば、2^アレフω<アレフω4である。』

(そもそも、ここではフレフの記号も書けないし、正確な記述も出来ない!!)

専門家を除いて、上の『・・・』の意味が直ちに理解できる人がいたら・・・もし貴方が数学者でなかったら貴方は生き方を間違えている!!! 直ちに数学基礎論者になるべきだ。大げさでなく、それが人類の為にもなる。

この本の著者自身がビックリ・ギョウテンしている。
『どうして、こんなところに4というサプクスリスト(添え字)が出てくるのだ!!!』と。

人類の中にはインド人・ラマヌジャンのように神がかった数学者が確かに存在した。

だからシェーラー定理をたちどころに理解してしまう人が今後出ないとは限らない。
ただ、そういう場合、頭脳の或る異常さという意味で、『天才と狂人の違い』という興味深い問題を我々に残すだろう。

ゲーデルの不完全性定理とリーマン予想

ゲーデルの不完全性定理。この超難解にして深淵な定理を、20世紀を代表する天才数学者のフォン・ノイマンが日常語で説明してくれている。いわく、
-----------------------------------------
ゲーデルはつぎのことを証明した最初の人である。

現在までに承認された数学の厳密な方法では証明することも、否定することもできないものがある。

換言すれば、彼は決定不能な数学的命題の存在を証明したのである。
(中略)

重要なことは、このことは哲学的原理や疑わしい知的方針ではなくて、極度に学問的な厳密な数学的証明の結果である。

(後略)
-----------------------------------------
さて、リーマン予想という、これまた超難解な未解決な問題がある。

ここで私は妄想するのである。

『もしかしたらリーマン予想は、現在の数学では証明することも、否定することもできない命題かも知れない。』と。

このリーマン予想を解決すべく幾多の研究者は、そうではないと確信して挑戦しているのだろう。

その理由として、私が聞きかじったことは、リーマン予想は美しいのだそうである。故に、リーマン予想は(恐らく)肯定的に証明されるはずなんだそうだ。

この理屈は私を含めて数学に縁のない人には理解を超えているだろう。

思えば、フェルマーの定理も、ポアンカレ予想も肯定的に証明されてしまった。

ならば、リーマン予想も・・・。

これは門外者である私も諸氏も、どうでもよい問題だろうが、当事者には悩ましいどころか命がけの問題らしいのだ。

コンピューターへの恐怖

もう20年以上も前になるが『今日から君も強くなれる!!』と副題がついた、文字通り将棋入門書を図書館から私は借りたことがある。表紙には羽生善治の顔の漫画風の絵も描かれていた。この本の最初の数ページは漫画入りの将棋の駒の動かし方が書いてあって、私の「実力?」に適した本だった。

私は将棋は子供の頃から好きで、しかし、ただの好きなだけで実力は駒の動かし方を知っている程度に過ぎない。その頃、新しいPCを購入した時だったので将棋ソフトを買ってみた。このソフトは、その「強さ」の程度が上級・中級・下級と三種類で対局できるようになっていた。

そこで下級で、やってみたのだが私は連戦連敗!! いや驚いたね。パソコンの将棋なんて、どうせバカだろうとタカをくくっていたら、私如き者は下級でも全く相手にならなかった。「**抜き」という初心者向きの設定も出来たが、それでは私の自尊心が許さないので平手でやっていたが、私は「待った」「待った」を連発させてやっとPCを強引にネジ伏せる有様だった。そうして『ざまぁみろ』と一人満悦し、当事同居していた猫に「おい、勝ったぞ」と云ったりしていた。

思えば、定石を何万通りと「知っている」相手に、せいぜい駒の動かし方程度の知識しかない私なんぞが相手になるわけがない。私はろくに手筋も知らない。しかし所詮相手はたかが機械に過ぎない。

確かに機械に過ぎないのだが、こうも相手にされないと、私はパソコンに或る知性を感じざるを得なくなってきた。『2001年宇宙の旅』の、あのHALの不気味さを我のPCに私は実感し始めたのだった。確かに或る知性を私は私のPCに認めざるを得なくなった。

現在は私はその将棋ソフトとは無縁になったが、あの時私が感じたPCへの或る恐怖は今でもまざまざと覚えている。
***
おそらく、そんなに遠くない将来、コンピューターは知性のみならず感情をもつようになるだろう。感情をもったコンピューター。SFには既にあるだろうが、それが現実化しようとするとき、『人間性とはなにか?』という形而上の問題を人間は解答を得ているだろうか? 科学と倫理は、これから、あらゆる分野で相克するようになるだろうと私は思う。
***
科学の進歩の発展曲線はベキ級数(ネズミ算)的に比べ、倫理の発展曲線は・・・そもそも倫理は何千前から発展しているのだろうか?
倫理の裏づけのない科学の発展。それは相当深刻な問題を生むだろう。いや、まさに生み続けているに相違ない。HALどころではない恐怖が私たちを待ちうけている・・・

能の楽器の「偏屈」な個性

本『能の表現(逆説の美学)』(増田正造著、中公新書)に、能楽に使われる楽器の「逆説」が書かれている。私は此の楽器の方面も全くの素人だが、この本によると---
----------------------
・能管は合奏ができない。楽器によってピッチが異なり、調律ができない。同じ能管でも吹き方の微妙な差で半音ほどの差はすぐ出てしまう。

・小太鼓は湿度に大変影響される。乾燥した空気の中では調子が出ないばかりか、皮がそってしまう。能楽堂の演奏でも裏皮に息をかけ、あるいは唾液によって常に振動を調整する必要がある。名手の手にかかると、この世で一番音色の美しい打楽器とも言われるが概して鳴りにくい。

・大太鼓は鋭い衝撃音を出すために、その都度炭火で皮を焙じるから数回の使用に耐えない消耗品で、一曲の能の中でも、何回か楽器を変える必要がある。

・太鼓は締め上げてバチで打つから能では一番安定した楽器だが、能で担当するのは主として最終部分だけで全曲では使用されない。能の曲目によっては参加することはない。
---------------------
能は、いつも同じ音の出る安定した楽器をはじめから求めなかった、と著者は言う。
どうして能は、こんな気まぐれな楽器を愛し続けたのだろうか、と。

著者の、その一つ解答は、私流に換言して言うと、能の公演は一回限りなものであり (一期一会の重視) 、その一回限りの演奏の瞬時の燃焼をすべく、あえて、かくも個性が際立った楽器を使用した、ということらしい。一回限りという緊張感を保つべく、『いつも同じ音の出る安定した楽器』を、あえて使用しなかった、ということらしい。(但し、現在の能の現状は此の限りではないかも知れない。私は、その当たりの事情は知らない。) 

ここらへんの事情は本質的には西洋音楽を含め全ての音楽に共通しているのだろうが、それにしても、能の楽器への偏屈とも言えそうな個性重視は極端に見える。

能の楽器の此の「逆説」は、少し、おおげさに言うと、今日、多方面に見られる『ものの画一化』への蔑視とも受けとれる。能が現在も先鋭的に見える一つの所以は此の「逆説」に拠るのかも知れない。

オイラーの積の公式

オイラーの積の公式とは以下の等式を言う。

1より大きい変数をs、正整数をn、素数をpとするとき、
1+1/2^s+1/3^s+1/4^s+1/5^s+1/6^s+・・・・+1/n^s+・・・・・
     ={1/(1-2^-s)}{1/(1-3^-s)}{1/(1-5^-s)}{1/(1-7^-s)}・・・・{1/(1-p^-s)}・・・・・・

このテの話に慣れていない人は上式を見ただけでウンザリするだろうが、この式が成立することの証明は、たぶん大学受験レベルの問題となるだろう。
***
『素数に憑かれた人々』(ジョン・ダービーシャー著、日経BP社)という本があって、この等式について面白いことが書いてある。著者は此の式の証明が書かれた数学の教科書を調べあげ、一番理解し易い証明方法を見つけたそうである。

そこで、一応、念のため、オイラーの原本での証明を調べてみたところ、なんとオイラー自身の証明のほうが遥かに簡潔で理解が容易であることが分かったそうである。

この本では此のオイラーの証明方法によって上式を証明・解説している。それを読むとナルホド・ナルホドと大納得してしまう。このオイラーの証明は中学生でも容易に理解できるだろう。

著者は、こう書いている。
『原典に当たるに越したことはないとは、やはり真実である。』

これは一般的な教訓でもある。モノゴトを真に理解していない人間ほど、そのモノゴトを晦渋に説明する、という教訓である。

ちなみに、上式はsを変数とするζ(ゼータ)関数といって、知る人ぞ知る超難問:リーマン予想の主題の式である。上記の本はリーマン予想に関しての一般読者向けのお勧めの本である。

六条御息所の生霊と死霊の世界

私は源氏物語の知識は全くない。
ただ『能の表現・その逆説の美学』(増田正造著、中公新書)という実に面白い本があって (此の本については以前、日記に書いたが) 、この本のなかで能の演目『葵上』や『野宮』について解説されている。

源氏物語を知っている人には蛇足になるが、この本によれば、
『源氏の正妻葵上に対する六条の怨念は彼女の教養との身分意識の抑制をくぐりぬけ、生霊となってお産の床にあるライバル葵上に憑き祟り、ついには、とり殺すことになる。』

又その後、六条御息所は娘と共に嵯峨野の野宮で過ごすが、源氏物語では六条御息所は死後も死霊となって葵上にとり憑いでいく。まさに「女」の妄執の世界である。

能『野宮』の作者は、既に死後の六条御息所の魂を縁(ゆかり)の地である野宮に登場させ、彼女の全生涯の重さを、そこで思い出させている。『死から生を展望する』という能独特の視線であるが、そこに描かれたのは恋の妄執から解放された「女のあわれさ」と「女のいじらしさ」である・・・・と此の本では解説している。

池西言水の俳句に、「あさましや虫なく中に尼ひとり」という一句があ.る。野宮の六条御息所が尼であるか否かは別にして、私は、此の俳句の「尼」は、生霊であり死霊でもあった六条御息所であるように思えてならない。

晩秋の虫の鳴く嵯峨野に佇む女・・・六条御息所。これは秋の女にふさわしい。
***
源氏物語は何を描いたのか。私は無学にして知らない。ただ、こう言えるのではないかと思う。煌々とネオン輝く現代の街にも、六条御息所は、きっと居るに違いない、と。

詩人・山本陽子と能「黒塚」

山本陽子(←俳優さんじゃぁないよ)の詩には私は関心があって、というより彼女の感性に興味がある。彼女は人類の範疇をはみ出している観がある。但し、『言語』に関してだが。

事実、彼女は地球外生命体だったかも知れない。
そのように比喩する人もいる。彼女の詩を、ここで紹介するのは到底不可能だ。興味ある人はネットで「詩人 山本陽子」として検索してみるがよい。その凄さに驚くだろう。

彼女は自身の詩を『200年後には理解されるだろう』と書いていたと思ったが、最近はYou Tube で彼女の詩が紹介されたりしているから、、200年どころか50年を待たずして彼女の詩が人々の間で認知されつつあるのかもしれない。

以下は実は随分前に書いた日記だが、このところ話がコチラのほうに及んできたので追記・再掲しよう。
***
彼女は1943生まれで亡くなったのは1984年。肝硬変で死亡。

その直前までの彼女の生活は午前中安田生命ビルの掃除婦をし、午後は読書、その後は一人住まいの目白の公団自室で酒にくれるという日々を九年間続け、その中から意味を拒絶する言葉の連なりをつむぎ出していたそうだ。
意味を拒絶する言葉を !!!

数百行にも及ぶ彼女の詩は、詩というより、私は一種の呪文に思えてならない。
従って、私は以下に書くような勝手な妄想をしてしまうのだ。
***
生前、彼女は自室には誰も入れなかったそうだ。時折、母親が訪ねてきても戸口での立ち話ですませていたそうだ。ある日、近所の人が彼女の異様に気付き部屋に入ろうとしたが鍵がかかっていて入れない。

そこでレスキュー隊が駆けつけ部屋を突き破り、彼女を強引に病院へ連行。その数日後にその病院で彼女は死亡した。病院で死亡と言っても実態は限りなく自殺に近かったのだろう。 41歳だったそうだ。

死後、残された彼女の部屋に残されていたものはフライパン一つと数冊の推理小説の類と意味不明の絵だけだったそうだ。その絵は、気味悪いということで遺族に処分されたとか。晩年の彼女の部屋は察するに索漠した空間だったのだろう。

彼女は何故この自室に誰も入らせようとしなかったのか?
この拒否は何を意味するのか?

その一方で、私に言わせれば呪文のような意味不明な言葉を、(恐らく)真夜中一人で綿々と書き綴けている・・・
ここで能『安達原』のストーリーの概略を紹介しよう。

***

『黒塚』の能は、その舞台である陸奥(みちのく)の荒野の名をとって『安達原』とも呼ばれる。行き暮れた旅僧の目に、一軒家の灯がうつる。あばら家にひとり住む女は山伏の望みに宿を貸し、もてなしのために山に薪を取りにのぼる。その際、女は旅僧に家の閨(ねや)は決して見てくれるなと言い残す。

女が外出したとき旅僧は、『閨(ねや)は決して見てくれるな』という女の禁を、好奇心にかられて見てしまう。しかし旅僧が見たものは・・・山づみと重ねられた人の腐乱した死骸であった。驚いた旅層は逃げ出すが、女は鬼となって追いかける・・・
----------------------------------------------------
この日記で何度も紹介している『能の表現・その逆説の美学』(増田正造著、中公新書)という本で、この『黒塚』の女のタブーについて以下のように記述している。
--------------------------------------------------
『黒塚』の女のタブーとは何だろう。密室に隠された死骸とは、女性の暗い魔性の秘密であり、その性(セックス)の持つ、ある残忍さの象徴であろうか。あるいは人間が生きていくうえに冒かさざるを得なかった罪業の集積なのか。(中略) 糸車を繰りつつ人生のむなしい長さをかこつ前シテの狐愁とともに、この能は何か深い意識の底でわれわれをおびやかす。(後略)
------------------------------------------------------
『黒塚』の女が決して見るな、と旅僧に念をおしたものが何であれ、それは他人には決して知られたくない罔(くら)い己の本性かも知れない、と私は思ったりする。

山本陽子は決して自室を他人に見せようとはしなかった、その理由は・・・(これは私の妄想だが)・・・『黒塚』の女のタブーと本質的なところで似ているのではないか。

勿論、山本陽子の自室に、腐乱した死骸が山積みされていた、なんてことじゃぁない。
決して安易に知られたくない彼女の内面の本質が、その自室に在ったに違いないと私は思うのだ。

その本質とは、上記の本の記述のように、女性の暗い魔性の秘密であり、その性(セックス)の持つ或る残忍さかも知れないし、あるいは人間が生きていくうえに冒かさざるを得なかった罪業の集積かも知れない。

ここで女性と言うより私は『いきもの』と言い換えてもよいと思う。『いきもの』の罔(くら)い本性と原罪。それを彼女は「呪文」として書き連ねていたのだ。『黒塚』の鬼女のように。私には、そう思える。そして、それは下記の空海の言葉にも通低しているように私は思う。
***
『生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに罔(くら)く、死に死に死に死に死んで死の終わりに罔し』(空海)

カントールの連続体仮説への妄想

私はカントールの超限集合論が其の名前からして惚れ込んでいて、ここで今更言うまでもなく、私は超度級の素人で、とは言うものの一般読者向けの其の方面の本を乱読してきた。

だから此の仮説の私なりの思いというか、独断、錯覚、珍想があって、私は此の夏の空を眺めながら、このトンデモナイ仮説に我が想いを馳せるのである。

連続体仮説つぅのはね、と此処で説明して恥さらしするのも癪 (シャクと読んでネ) だから省略する。とは言いながら此の後で書いたりしていて凡人の卑しいところ。

偉い人の本によると此の仮説は現代の数学(集合論)では是とも非ともつかず、つまるところ今日只今の人間の理性を超越している凄いシロモノ。

無限には無限の階段があって、丁度、自然数0,1,2,3,・・・と続くように、無限も、無限0,無限1,無限2,無限3・・・と続いている。

無限nは、無限n-1の全ての部分集合の集合の数だけあって、式で書くと、無限nの数(かず)=2^(無限n-1の数)というのが一般連続体仮説なんだそうで・・・・・

ここらは単なる文学的装飾なんぞではなく、キチンとした理屈があって (と言うことは好き嫌いの問題ではなく世界の誰も異論できない話であって・・・)

私が文学に時として嫌気がさすのは、つまり文学って結局は自己満足なんだな。ところが数学は、およそ自己満足など無縁のサバサバとした世界。そこが魅力。

まぁ、それはどうでもよいが、ここで私の妄想が始まるのだが、無限が無限の領域で、0,1,2,3・・・と離散的に続くのは何か不自然な気がする。

一応、有限の世界にも数直線のような『連続なモノ』があるんだから、無限にも数直線のように『連続なモノ』があってもよいような気がする。

と此処まで妄想してきたら、何が何だかわからなくなってきた。

そもそも、数直線の点の数(かず)は・・・と文章の綾として書いておくが・・・カントールは無限1と主張したかったんだが・・・しかし証明は出来なかったし、前にも書いたように此の命題は現代数学の範疇外で、未来人はともかく今は誰にも分らないことになっている。

もしかしたら、無限も0,1,2,3・・・のように離散的続くのではなく、一様に「連続的に」続いているのでは?

そんな妄想をするが、結局は此れは私の嫌う文学的思考だな

『Hop-Frog』(Edgar Allan Poe) の思い出

『Hop-Frog』(Edgar Allan Poe) の思い出

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これは私にとって実に思い出深い短編小説だ。

タイトルを英語で書いたが、だからといって私は英語が得意というわけでは全くない。我が生涯を振り返ってみて、英語は結局あらゆる意味でモノにならなかった。では何故、英語で書くか。それは以下の理由があるからだ。

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話は昭和37年にさかのぼる。当時私は高校3年生であった。その高校はいわゆる受験校で、現在はどうか知らないが当時は規定の授業は1月始め頃には全て終了し2月以降は大学受験準備のため休校になつていた。1月は各学科で、言ってみれば暇つぶしの授業が行われていた。

私の教室の英語担当の先生は、その『暇つぶし』の英語の授業で、先生手製の『ガリ版刷り』の教材を使用したのだった。

当時はワープロは勿論存在しないし、現在在るような重宝なコピー機も存在しなかった。在るのは油紙のようなものに金属製のペン先でカリカリと手書きして、それをガリ版機なるものに乗せ、インクの付いたローカーで擦って、一枚一枚コピーしていく・・・そんな次第の先生自身による手製教材であった。

先生は其のコピー教材を教室の全生徒に渡し、何の説明もなしに其の教材の英文を自ら読み始め、自ら日本語に訳し始めた。

先生は生徒の誰かを指名して読ませたり訳させたりするような、そんな野暮なことは一切しなかった。

当時、私は生意気にも学校での英語授業なるものを軽蔑しきっていた。英語は所詮は受験のための『お道具』だと割り切っていた。

この授業は毎週1回、1ヶ月間続いたように記憶している。

ところが私は次第に此の先生の授業にだんだん惚れこんでいった。この教材の話の面白さに惹かれていったのだ。

小説らしい、ということは始めから分かっていたが、ともかく先生の和訳の話術も実に素晴らしく私はこの授業が楽しくてしようがなくなった。

今、我が人生を振り返ってみても、こんなに魅惑的な授業、というより魅惑的な時間はその後ほとんど無かったと思う。

この授業の最終回に此の教材の話も終了したのだが、先生が教室から去ろうとするとき同級生の誰かが先生に問いかけた。

この教材の話の作者は誰なのか、と。
すると先生は、黒板に、E.A.Poeと黙って書いてスーと教室から出て行った。

そうかポーだったのか ! と、私は妙に大感激した。

私のこの感激は、文学というものの香りへの感激だったに相違ない。 今でも私は素直にそう思う。

索漠たる受験英語に荒んでいた私は、真の文学の泉が如何なる味であるか、それを知ることができたのは私の心が未だ若かった故でもあるが、なによりも此の授業のおかげだったと言える。

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そして、当時この授業の素晴らしさに感激した生徒が教室の片隅に居た、ということは恐らく先生はご存知あるまい。

その先生の名前は私は今でも私は憶えている。原崎という先生だった。 

もう半世紀以上も前のことだ。先生は今もご健在なのかどうか、同窓会なるものには一切出席していない私には分からない。

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その後私は目出度く大学に入学し先ず買ったのが、
『Tales of Mystery and Imagination』(everyman's library 336)
だった。

この本のカバーには、Hop-Frogが、松明を片手に持って、シャンデリアの鎖につかまり、舞踏会を見下ろす場面の絵が描かれている。この本は今でも私の手元にある。

このHop-Flog の和訳を、その後いくつか読んだのだが、やはり先生の話術には、とうてい及ばない。

もし、先生と同じ程度に和訳できる人は誰だろうと思うときがある。 恐らくそれは芥川龍之介だと思う。

あの江戸小物細工のような凝りに凝った緻密な文章で芥川龍之介が、このHop-Flogを日本語化してくれていたら・・・と思う。

私の感覚では『Hop-Flog』と『地獄変』とは、とてもマッチするのだから。

或る猫の思い出


この写真は、ありし日のトッチャンの写真である。
(アナログ写真をデジカメで撮りなおしたので少しぼやけている)

私がトッチャンと初めて出会ったのは、もう10年以上前になる。

私が、いつもの犬( この犬も今や亡くなっていないが )との散歩道-そこは、あまり人気の無い曲がった小道だったが、そこを通りかかったとき道ぎわの草むらから、なき声が聞こえた。犬が気付かなかったなら分からなかったほど、かすかな声だった。

近づいて、よく見ると子猫が草むらの中にいた。抱き上げてみると、なんと両後足が全く萎えていた。しかし幸いにも両前足は異常はないようだった。

生後数ヶ月程と思われる大きさだったので、事故か何かで両後足が動かなくなってしまったらしい・・・しかし事故直後にしては、それらしい傷は両後足にはなかったし、又その人気のない小道の草むらまで独力で歩いてこられるはずもないし・・・・・・。

飼い主に捨てられてたのかどうか・・・そこらの事情は分からなかったが、そのまま見捨てていくわけにはいかず、家内を携帯電話で呼び出し家に連れて帰った。

その頃は私は大変な時期だった。
近くに住んでいた父は脳梗塞で倒れ右半身は完全麻痺。言語能力も完全失墜。そして入院。父と同居していた母は、比較的軽度ではあるけれども自活は不能なアルツハイイマー病の状態。

そのため、その頃は私は、昼飯のみは自宅で済ますことにし、その他の時間は母宅の二階で過ごすことになった。自宅と母宅との距離は自転車で数分程だったので、自宅と母宅との通いには別に問題はなかった。夕方には家内が夕飯を母宅に持参し、そこで食事し、家内は自宅に帰る。その繰り返しの日々ーーー。

そのような両親の介護状態時でのトッチャンとの出会いだった。

ともかく、トッチャンを近くの動物病院で診てもらった。両後足の不自由な猫は、前足でイザッて歩くため、尻を擦るためか腎臓系統が病んで長くは生きられないとのことだった。しかし、ともあれ、尻に塗る薬をもらって母宅に連れて帰った。

それから母宅でのトッチャンと私との生活が始まった。下の写真でトッチャンが『着ている』赤色の布きれは、実は『おむつ』なのだ。尻にティッシュ・ペーパーを当てて『おむつ』を、はかせて家の中を自由に遊ばせていた。

尿等で『おむつ』は直ぐ汚れてしまうため、家内の手製の数枚の『おむつ』を用意して、それを順次はかせていた。

その汚れた『おむつ』はトッチャン専用の、庭の小さな物干しで乾かしていたのだが、通行人がその奇妙な布切れを見たら、さぞかし不思議に思ったことだろう。それを思いだすと今でも一人笑えてくる。

前輪駆動で動き回るトッチャンは、両足の不自由さにも関わらず実に闊達だった。チョコチョコと動き回る、その速さときたら流石に猫だなと思ったものだ。二階への階段は、上がるのは、やはり無理だったが、降りるときはコロゲ落ちるようにして自力で降りていったものだった。

そして、父が亡くなった年の初夏の或る日。
トッチャンとの生活が始まってから三年目を過ぎた或る日。

私が自宅で昼飯を済まし、母宅に戻ってみるとトッチャンの様子が変だった。
朝は何も常と変わらず元気だったが・・・・・・。

思いも因らない全くの急変で私は驚き、トッチャンと声をかけるとニャッと小さな声を出したと思った瞬間、トッチャンの頭がガクと垂れ、それきりの最期だった。

何か小説や映画のようなアッと言う間もない幕切れだった。やはり腎臓系統の疾病が徐々に進行していたのだろう。

その後、その小さな体を、私は庭に埋めてやった。
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今迄、私は何匹かの猫との出会いと別れがあった。
しかし、このトッチャンとの出会いと別れは、私にとって、いろいろな意味で忘れることのできないのものとなっている。

PS: この子猫は、いわゆる体の模様がトラ猫に似ているということで家内がトッチャンと名づけたのだった。

オレオレ詐欺のこと

相変わらず年寄がオレオレ詐欺の新バージョンで騙される続けているようだ。

そういうニュースを耳にするにつけ思うことは、金持ちの年寄が多いんだなってこと。

何百万円だかを騙しとられたというケースはザラにあるようだ。

騙すほうは勿論ケシカランが、騙されるほうにも驚く。

へぇー、そんなに金もってるの!!!ってね。

その点、貧乏人は気楽です。騙される金がもともと無いんだからね。

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何年前だったか、私宅に一枚の葉書が届いた。

この葉書に曰く、『貴方は***を購入しており当方には代金が届いておりません。至急、払い込まないと然るべき手続きをとります』だとさ。

その葉書には、なにやら、もっともらしい法人名が差出者として書いてあった。

私はネットで調べ、其の法人が不在であることを突き止めた。 
案の定の「詐欺」であることは明白だった。

で、その葉書は私は無視し、ほおっておいた。

その葉書は記念に未だ残してあるから此処にその差出名を書いてみようか。

 民事訴訟管理事務局

だとさ(嗤)

『刑事コロンボ』第1作目

昨日、刑事コロンボの第1作目『殺人処方箋』が、NHK BSで放送されたので観た。

このシリーズは69話まであるという。
『男はつらいよ』同様、このコロンボ・シリーズは私は全話みているわけではないが、どの話をみても面白い。

人気に溺れて手を抜くことをしなかったから、こんなにも続いたのだろう。

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この第1作は1968年制作というから、ピーター・フォークが若いのは当然だが、例のヨレヨレ・コートも未だ新品に見えるし、コートの下のスーツも新しく見える。

なによりも違うのは『犯人』を窮地に追い込んでいく鋭い精悍さだ。

後年のトボけた鷹揚さは未だ少なく、ことに此の第1作目『殺人処方箋』での共犯者の若い女を問い詰めていく、過激とも言える舌鋒の鋭さは後年の作品には見られない迫力がある。 痛快であった。

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今回放送されたのは、ノーカット・ハイビジョン・リマスター版ということだが、エンディング・クレジットによると、小池朝雄がコロンボの吹き替えをしていることになっていた。

この小池朝雄の吹き替えの適役さも日本での流行の一因になっていたのだろう。

小池朝雄は1985年に亡くなっているから、ノーカット版も既に彼が吹き替えをしていたのだろうか。

私は、ピーター・フォークの地声は『ベルリン天使の詩』でしか知らないが、確かに小池朝雄の声に似ていた。

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ピーター・フォークは1927年に亡くなっているが、アルツハイマー病だったそうだ。

しかし、この刑事コロンボ役で多くの世界で愛され、役者冥利に尽きる人生だったのだろう。それは『ベルリン天使の詩』でも暗示させている。

享年83歳だったそうだ。(合掌)

10層プリント基板の電子回路設計

最近の電気会社等の電子回路設計部門での設計事情は知らないが、私が電気工場の実験室の片隅で自身が設計した回路基板と格闘していた頃・・・もう20年程の昔話だが・・・回路設計での至上命令の一つは、いかにして電子回路の実装密度をあげるか、だった。

恐らく現在もそうだろうが、一般に電子回路機器は、当時は多くて20枚程度のプリント基板 (この各基板に電子回路部品が実装される)と、それらの基板を電気的に接続するマザーボードと称するプリント基板から構成されている。それらに必要に応じて他の部品が適宜接続されている。

通常、各基板はK1サイズ ( 横幅:30cm,縦幅:20cm,厚さ:数mm程度だったと思う) のものが使用されていた。

その各基板の実際の電子回路図はA2用紙一枚に原則として書かれた。だから一般に一つの電子回路機器の回路図はA2用紙で数十枚になった。

当時は余程の制約がない限り、両面に配線パターンがある2層基板が使われた。原則として部品そのものは片面に実装される。

ところが機器の制約上、私は10層基板を使用して回路設計をしなければならなくなった。実装密度をあげるため、そうせざるを得なかった。

その基板の10層のうち1層はベタアース面、他の1層は電源面として、他の8層で実装部品間の接続をした。

これにはマイッタ。

比喩として言うと、10次元空間を考えているようなものであった。2層基板程度なら、まぁ、どうということはない。

しかし、10層となると、そのヤヤコシサは経験した者でなければ分からないだろう。

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さて、その試作品の姿は・・・当然、ジャンパー線だらけであった。

ジャンパー線とは、これは業界用語だろうが、パターン設計ミスで其の箇所を切断し、通常の細い電線で正常に接続することである。まぁ設計ミスの具体的象徴のようなものだ。

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ともあれ、正直なところ、よほど好きでないかぎり、電気工場の電子回路設計屋などになるものではありません・・・

『ラインの黄金』(ワグナー)のこと

私にとっては初めて観たワグナーの楽劇だったので今でも、それを印象深く覚えている。

それは確かNHK BSが放送開始の目玉番組として放送したもので、演出はパトリス・シェロー、バイロイト祝祭管弦楽団で指揮はピエール・ブーレーズ。

なにごとも初体験というものは、良くも悪くも自身の嗜好を決めてしまうものだが、私にとっては、特に此の『指輪』の『ラインの黄金』が素晴らしかったので、その後TVで観た他の人の演出のものは物足りないものを感ずる。

特に半神ローゲ役がそうだ。此のローゲ役のハインツ・ツェドニクは私の大のお気に入りになってしまい、他の人のローゲは物足りないものを常に感じている。

『ラインの黄金』に登場する「神」たちのなかで特に魅力的な登場者が火の神( といっても半神だが )であるローゲなのだ。ものの本によると、ローゲ(Loge)の語源は、Luge(嘘:但し、uにはウムラウトが付く。)だそうだ。

このローゲは火と策略と嘘の神で、トランプのカードでイメージすると、あの「ババ抜き」の「ババー」のジョーカーに似ている。あるいはメフィストフェレス。あるいは皮肉屋の子悪魔。もしくはピエロ。「神」から見下されている半端モノの最下位の神:「半神」。これが、『指輪』で一番魅力的な(半)神だ。

このパトリス・シェロー版では、ローゲは「せむし」姿の黒装束で登場する。長身にして細面(ほそおもて)で痩せ型のハインツ・ツェドニクは、まさに適役だった。

この『ラインの黄金』での特に印象的は舞台は、豊饒と愛の女神「フライア」が羽織っていた白い絹状のショールをローゲが奪い、そのショールをローゲ自身にまとわらせ歌唱する場面。この場面は「アルベリヒ」が「愛」を捨てて「黄金」をラインの乙女たちから奪った、その「いきさつ」を語る舞台だが、これが実に良かった。勿論、音楽も。

白いショールと言えば、母なる大地の奥に住む・知恵の女神「エルダ」が登場する場面も実に良かった。白いショールを、ほぼ全身にまとい、「エルダ」が「ヴォータン」を説得する場面の神秘的な雰囲気の良さ。まさにワグナー的陶酔感を味わえる。

しかし、やはり極めつきは、この『ラインの黄金』の最後の場面だ。舞台の遠くからラインの三人の乙女たちの透明な合唱が聞こえるなか、ヴァルハラ城へと向かう神々に背を向け、ローゲだけが不思議な微笑をたたえながら舞台のカーテンを引いていき舞台を終わらせる。この最後の箇所こそ、ワグナーの音楽特有の媚薬的な陶酔感をひたることができる。シビレルとはこのような体験を言うのだろう。

私はこの『ラインの黄金』を大いに気に入り録画したのだが、あの頃は私はベータ機器で録画していたので、結局その録画を、その後観ることはできなかった。それまで無念の思いを続けていたのだが、一昨年、パトリス・ショロー版の『ラインの黄金』のDVDで発売されたので、すぐ購入したのだった。勿論、すぐ観た。またまたシビレタものだった。おお、ハインツ・ツェドニクよ!!
大変嬉しい再会だった。

江戸しぐさ

Wikiからのコピペだが、私は此れが好きなのだ。お説教というものが大嫌いな私は此れは大好き。

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・傘かしげ
雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うこと。

・肩引き
道を歩いて、人とすれ違うとき左肩を路肩に寄せて歩くこと。

・時泥棒
断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪(十両の罪)にあたる。

・うかつあやまり
たとえば相手に自分の足が踏まれたときに、「すみません、こちらがうかつでした」と自分が謝ることで、その場の雰囲気をよく保つこと。

・七三の道
道の、真ん中を歩くのではなく、自分が歩くのは道の3割にして、残りの7割は緊急時などに備え他の人のためにあけておくこと。

・こぶし腰浮かせ
乗合船などで後から来る人のためにこぶし一つ分腰を浮かせて席を作ること。

・逆らいしぐさ
「しかし」「でも」と文句を並べ立てて逆らうことをしない。年長者からの配慮ある言葉に従うことが、人間の成長にもつながる。また、年長者への啓発的側面も感じられる。

などなど。

『とかく此の世は生きにくい』のだが此の程度なら誰でも出来るコト。江戸人は偉いね。

『姫神』と『奥の細道』

私は『姫神』のCDを数枚もっている。

古いのは、もう20年程前買ったものだが、折にふれ聴いている。『姫神』と言えば私は芭蕉の『奥のほそみち』を連想せざる得ない。

これもまた古い話になるが、今は亡き森敦が、芭蕉の「奥のほそみち」をたどる、一回限りの『われも、また、奥のほそみち』という紀行番組に出た。

森敦が、山々を遠く背景にした田舎の一本道を歩いていく姿を、TVカメラが遠望する映像は、今でも記憶に残っている。 この番組のBGMが『姫神』だった。

シンセサイザーという現代機器を使いながら演奏される曲想は、東北地方の風景に溶け込み印象的だった。

それ以来、『姫神』と言えば『奥のほそみち』を連想するように私はなった。

今でも私は記憶しているのだが森敦が秋田県の蚶満(かんまん)寺を訪れた時、掛け軸に書かれた芭蕉自筆だといわれる

『象潟や 雨に西施が ねぶの花』

を見て、森敦は例の穏やかな微笑をたたえながら「これは何と書かれているのですか」と寺の住職に尋ねるのだった。

当然、森敦は其の句も、その由来も知っているはずであるが、その時の森敦の微笑が忘れられない。

私は芭蕉の此の俳句が好きで、其の、しっとりとした哀情の気品さには惹かれる。

***
NHK BSで『音巡礼・奥の細道』という紀行番組が1996年に放送された。

この番組はデヴァカント(Devakant)というアーチストが「奥のほそみち」の旧跡を訪ね歩くという番組であった。

この人は頭部を白い布に包み、衣装はインド風の白装束で長い杖を持ち、インドあたりの古楽器の入った白袋を肩にささげるという出で立ちだった。 インドで芭蕉を知ったそうだ。

「奥の細道」の縁(ゆかり)の森閑とした風景を背景に「奥のほそみち」の原文が朗読され、各地各地の旧跡で、デヴァカントは自作の曲を演奏したのだった。

古楽器らしい其の音の響きは旧跡の周りの風景に溶け込み、しみじみとした余情を漂わせたものだった。

時には土地の老婆たちの唱える御詠歌や、時には坊さんたちの唱える般若心経との彼の演奏のコラボレーションは何の違和感もなく、其の土地の森の霊たちも聴き入るかのようであった。

この番組は他の紀行番組にはない傑出した番組で私は此れは録画保存しているが、折にふれ再見している。演出は波多野紘一郎。

このデヴァカントが蚶満寺を訪れたとき出迎えたのが、森敦が訪れたときに応対した和尚と同じ人だった。
恐らく、10年以上の歳月が過ぎていただろう。

このときにも、上句が朗読された。

***
『松島は笑うが如く、象潟はうらむがごとし』


今、松島はどうなっているだろう。

***

NHKアーカイブスに先日『音巡礼・奥の細道』の再放送をリクエストした。

数年前の東日本大震災を体験した今日において、この紀行番組を放送する意義は大きい。そういうコメントを書いた。なぜなら私自身此の番組、とりわけデヴァカントの音楽には癒されているからだ。