2016年6月29日水曜日

私の『ALWAYS 三丁目の夕日』

私が大学3年生頃だったかな、柴田翔の『されど、われらが日々ーー』という小説が文芸春秋に掲載されていた。ネットで調べると第51回芥川賞受賞となっている。

私は其の頃、家庭教師のアルバイトをしていた。アルバイト先は、現在、在るのかどうか知らないが目蒲線の「矢口の渡し」という風流な名の小さな駅で降りて、歩いて10分程度の家の高校3年生の家庭教師だった。その家は名前は忘れたが小さな工場を経営していた。その家の奥さんは少し色黒な小柄の人で気さくな人だった。

その高校3年生(以後A君と呼ぶ)は早稲田高校(早稲田大学とは無関係の学校)在学中で、数学の家庭教師をしてほしいとのことだった。夕方6時頃から夜9時頃まで家庭教師する約束であったが、慣れてくると、私は数学のみならず物理も教師するようになり(但し、私が自発的にそうしたのであってバイト先からの要望ではなかったが)、夜9時を過ぎることが多かった。

その理由はA君は建築工学志望であったから、物理は受験に必須だったからである。私は大学受験での数学、物理は得意だったから教えるのは楽しかった。

家庭教師をしているとき、決まって7時半頃、奥さんが、家庭教師している部屋・・・その8畳位の部屋には私とA君が居るだけだったが・・・そっと襖(ふすま)を開けて入ってきて無言で、ケーキとお茶の差し入れをするのだった。

A君には姉が一人いた。家庭教師の最初の日、ささやかなモテナシをしてくれて其のとき、その姉も同席していて・・・この人は闊達そうな人だった・・・自分は今、国学院へ通っていると言った。
あるとき、目蒲線で彼女と出会ったことがあった。そのとき、当時、世間で話題だった上記の『されど、われらが日々ーー』が我々の話題にもなった。彼女は読んでなかったようだったが、おくすることもなく闊達に喋った。現在でも其のときの彼女の態度を好感をもって思い出すことができる。

私は理系の者だから、そのとき異性の友人というのは皆無だったから、彼女との会話は楽しかった。時間にすれば、たった20分程度の会話だった。その日、彼女が自宅へ入るとき、「ただいまー」と大きな声で言った。私がA君と顔を合わせたとき、彼は少しニャと微笑した。姉と同伴だと分かったからだろう。

今から思うとA君の此の姉に私は、ささやかな恋心めいたものがあったのだろう。そういうこともあって、『されど、われらが日々ーー』は私には忘れ得ぬ小説となった。
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私のいた大学の同期生に、よく文庫本を読んでいる友人がいた。彼も読んでなかった。彼に此の小説の内容を簡単に説明すると福永武彦の「『草の花』みたいだな」と言った。私は其のとき『草の花』は読んでなかったが、後年、読んだ。

それはともかくとして、『矢口の渡し』駅からバイト先まで歩いていると、平凡な下町の町通りに夕陽が射しているときがあり、いかにも「ALWAYS 三丁目の夕日」よろしく、私には懐かしい昭和の面影となっている。
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私はA君の入試の1カ月程前、風邪をひいてしまい、その旨、電話でバイト先へバイト中止の連絡をした。バイト料金は7千円・・・当時、私には身にあまる高額だった・・・を既に貰っていたから返却する旨を伝えた。そしたら奥さんが「いいのよ、そんなこと」と言った。

A君の第一志望高は早稲田の建築科だったが、後年、知ったことだが、その年、理科大の建築科に合格し、A君や奥さんたちが喜んでいることを知り、私は内心ほっとしたものだった。
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『されど、われらが日々ーー』の物語の始めに以下のアポリネルの詩が載っている。

『思い出は狩の角笛 風の中に声は死にゆく・・・』

私は此の詩の断片をみるとき、私の、まぎれもない青春の一頁を今でも懐かしく思い出す。

2016年6月28日火曜日

ネアンデルタール人の『死の発見』

ネアンデルタール人の埋葬が改めて確認されたという記事を、以前、見たことがある。
ネアンデルタール人が埋葬という行為をしていたということは、彼らは『死』というモノを知っていたことを意味している。
彼らが其の『死』について、どのような概念をもっていたかは私は知らないが、『死というモノがある』ということは少なくとも認識していたようだ。
ホモ・サピエンス・・・ネアンデルタール人以降の人類・・・以外の生物でも恐らく『死』というモノを認識している生物は私は存在するのではないかと推測するがどうであろうか?
即ち、埋葬という行為をする生物はホモ・サピエンスだけだろうか?
私の勘違いかも知れないが、象が埋葬と似たような行為をするという記事を見たような記憶がある。
もし其れが事実ならば象は『死』という概念を、ホモ・サピエンスほど明瞭ではなくても持っていることになる。
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アーサー・ケストラーは彼の著書『ホロン革命』で、ホモ・サピエンスの先天的病いとして彼らの・・・ということは我々人類の、ということだが・・・『死の発見と其の拒絶』について書いている。
『死の発見』が、どうしてホモ・サピエンスの先天的病いとなるのか、興味がある人は其の著書を読んでもらいたいが、アーサー・ケストラーの説が正しいとすれば人類の祖たるネアンデルタール人は既に先天的病いを背負っていたことになる。
 そういう意味で此の記事は私には興味深い。

IT革命と、IT弱者と差別化

実は以下の話は10年程前の話で今日只今は更に状況が格段に進んでいるだろう。事実、私自身がIT弱者になりつつある(嘆息)
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或るSNSで、或る方が以下の趣旨のことをコメントされていた。

(前略)大病院で、看護師さんたちがIT機器に振り回されて必死で、患者を全く顧みる余裕がないのを経験したことあります。(後略)

この方の問題提起について少し考えてみよう。
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私の個人的体験から言うと( これはあくまで電子工学方面でしかないが )IT革命の始まったのは、真空管がトランジスタ化された頃からではないかと思う。年代から言えば1960年代頃からだという気がする。トランジスタは集積回路化され小型化はネズミ算式に進み、その影響は他の周辺部品にも波及していき、それらのコストも反比例式に下げられ、それらは火に油を注ぐが如く、まさに気違沙汰のように電子機器は『改良』されていった。

恐らく他の工学部門も似たような状況だろう。まさに改革という名の狂気が開始されたと言ってよいだろう。このことを如実に示す例がある。私が入社した頃は電子計算機というモノはエンジニアと言えども極めて特殊の人しか使わないし使えなかった。

しかし、1980年頃から状況は一変してくる。会社事務部屋にコンピューターが入り込んでくる。1990年頃になると、PCは一人に一台を、もつようになり、かつ又、PCの事務関連ソフトを使いこなせるのは、以前は『お茶くみ』だった女性社員が圧倒的に多くなる。いわゆる窓際族のおじさんたちのPCの実質的教師は、これらの女性社員たちとなる・・・という、ある種の逆転構造が通常となってきた。

そして2000年頃になると一般家庭にもPCは侵入し始める。PCは現代の科学革命の主役である。PCのハードウエアが革命という名の狂気で燃え盛るなか、それに連動してソフトウエアも革命という名の狂気で燃え盛り、その代表例がインターネットとなる。
そして、ただいま現在において、その狂気沙汰が、いかに凄まじいかは貴方方御自身がご承知のはずだ。
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この気違い沙汰に、追いついていけない人たちは当然存在する。実は私もその一人だ。私は携帯電話はあるが、その機具にはメール機能はつけていない。つまり私は携帯メールを使えない。現在において携帯メールが使えないというコトは或る種の欠陥を抱えていると言えはしまいか。
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あるいは、こうも言えはしまいか。上のふじのさんのコメント文の中の『看護師さんたち』を『医者たち』と変えてみたら・・・、その文章は誤りと断言できるだろうか。即ち、こうだ。

(前略)大病院で、お医者さんたちがIT機器に振り回されて必死で、患者を全く顧みる余裕がないのを経験したことあります。(後略)
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その或る方の上記のコメントに対して私は以下のようにリコメントした。

『この革命は勿論病院にも押し寄せており、それは決して悪いことではなく、むしろ歓迎すべきことです。しかし、私は或る象徴的な場面を病院受付所で見ました。特に大きな病院では、病院受付はIT機器で自動受付機が設置されていて、自分でその受付機を操作して受付を済ます。という所で私が見た光景です。

あるお年よりが、その受付機でウロウロしている。操作方法が分からない様子らしい。そこへ病院の受付係りの人が寄ってきて、いわく、
『ジイちゃは、これはね、こうしてね、・・・』
ジィちゃん、いわく、
『オラ、わかんねぇ』
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貴方は、このお年より嗤えるだろうか。嗤えまい。なぜなら、このお年よりは近い将来の貴方かもしれないからだ。
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私は以下のようにもリコメントした。

『現在、PCが使えないという人は、狭い思いをしているでしょう。なにか時代に取り残さているように感じているに相違ない。 IT革命は確実に、人類歴史上、類を見ない、新しい弱者を生んでいるのですね。もっと極論すれば、新しい差別を生んでいる。』
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先日、TVをみていたら、今回の選挙での党首討論はインターネットで行うそうである。
ならば、インターネットを使えない人たちはどうなるのか?
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私は、今、新しい差別がうまれつつあると思っている。

『無言歌集』 (メンデルスゾーン)

30年程前、私は図書館から音楽CDを借りて其れをコピーしていた時期があった。 図書館に置いてあるCDは古いものだからコピーは容易にできた。
私は根がケチだから買うよりもタダでコピーできることは大いに魅力があった。 実にケシカラン男であったわけで私のような人間がいるから今やCD等はコピーできないようになっているようだ。
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そのようにしてコピーしたCDに掲題のものがある。

実は此のCDは図書館の音楽教材棚に並べられていたCDで、たぶんピアノ演奏初心者練習用のものだろう。

私は音楽は小学生の頃、ハーモノカを吹いていたことがあるが其れ以外楽器には全く無縁な者であって今や口笛さえ吹くのに苦労するし、勿論、譜面など全く読めない。

中学生の時、音楽の理論めいたものの初歩の初歩を習った覚えがあるが其れも完璧に忘れてしまった。 しかしドイツ3大Bはバッハ、べートーベン、ブラームスと習った気がするが、そんなロクデモナイ知識は現在音楽を聴くうえで何の役にも立たない。
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というわけで私は音楽については押しも押されもせぬ完全な素人であるが、聴くぶんには人並みに聴く。

そんな完璧な素人の判断であるが掲題のCDの演奏は、いかにも音楽の先生が譜面どおりに几帳面にピアノを弾いているように私には聞える。およそ『けれん』とは、ほど遠い弾き方に聞こえる。音楽の教材なんだから、無用な虚飾は排しているように聞こえる。

私は掲題の曲は此のCDしか聴いたことはないのだが、たまにプロの他の演奏家が弾く此の曲をラジオ等で聴くことがある。 そういうとき、私は、違和感を感ずることが多い。

その演奏家の此の曲の解釈故なんだろうが、なんとも『いやらしく』私には聞こえてしまうのだ。その演奏家の『思い入れ』に鬱陶しくなるのだ。 たぶん此の私の感じ方は、私が其の音楽教材のCDに耳慣れているせいだろう。

掲題の曲の演奏は、音楽の先生による『真面目に、几帳面に』弾かれたものでないと、どうも虚飾を感じてしまうように刷り込まれたらしい。音楽を聴くにも『刷り込み現象』に似たものがあるようだ。

ともかく慣れというものは恐ろしい、というより何事も初体験が肝心らしい。
実は現在も、ほとんど毎日聴いている。ともかく安定とは言えない我が神経を逆なでしない有難いCDなのだ。

2016年6月25日土曜日

死についての雑感

『光る淵の 其処につどはす三世(みよ)の仏(ほとけ)
   まじらひがたき、現(うつしみ)。われは
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上は釋超空の歌である。
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死んだら、どうなるだろうか?
あるいは『何処へ行く』だろうか?
というのは恐らく誰もが子供の頃から思う漠然とした感覚だろう。

それについて、いろいろな人が、いろいろなことを言ったり書いたりしている。
しかし、つまるところ、結局は、誰も分からない・・・に相違ない。
べつに分からなくたっても私如き凡人は何の不自由もない。

しかし確実なことは (世の中に、これほど確実なことはないが) 誰も例外なく、いつかは其の『体験』をする。
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私は或る病気で全身麻酔をしたことがある。そのとき、口にマスクさせられた時、ほぼ同時に私の意識はなくなっていった。
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遠くのほうから、***さん、***さん、という声が聞こえてきた。そして無事、手術は終わったことを告げられた。私は始め何のことか理解できなかった。が、『あ~、手術をしたんだと』と少しずつ意識が戻ってきた。私はマスクさせられたときから、声をかけられるまで全く何も覚えていない。
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生から死に至るまでの人間の体内臓器の死滅は、おそらく電気用語で言うところの同期はしていないだろう。各臓器が順不動で死滅していき、その死滅の順序に従い、固有の苦痛と意識の乱れが錯綜していき、最終的なご臨終となるのだろう。そのご臨終の後が死と呼ばれる状態に至る。 
(死についての恐怖は、私個人としては此の生→死の過渡現象期間の肉体的苦痛にある。
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過渡現象と言う言葉も電気用語だが、全ての臓器が機能を失ったとき (医学的には死の定義はそんな単純なものではないだろう。事実、臓器移植が現実に行われているのだから) ともあれ、死後の『私の意識』は察するに全身麻酔時の『私の意識』と同様ではなかろうか、と私は思う。ただ、永遠に、***さんと呼ばれないだけである。
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私たちは時間は砂時計のイメージが固着している。しかし、永遠とは砂時計の砂が止まらないことでなく、おそらく或る異次元への跳躍 (曖昧な言葉だが) を意味しているように私には思われる。 上の釋超空の歌の「まじらひがたき」とは私はそのように独断する。
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『死んだらどうなるか』。
此のイメージの私の最も好きなものは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』である。

鎮魂について

鎮魂とはどういう意味だろうか。

Wikiによると『今日では「鎮魂」の語は、死者の魂(霊)を慰めること、すなわち「慰霊」とほぼ同じ意味で用いられる。』とある。

ここ十数年の間、私に親しきものたちが次から次へと死んでいった。

それらは人間に限らない。人以上に私に親しい犬・猫たちも其の短い命をなくしていった。

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私は死者の魂の存在は信じていない。
従って、私の親しきものたちの墓も無い。

いや、そのような言い方は正確ではない。

私の親しきものたちは今も私の心の中に依然としている。

「墓」とは私にとって、心の中に依然としている親しきものたちのメタファーとも言ってもよい。

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今も私の中に依然としている親しきものたちへの鎮魂とは何を意味するのだろう。

それは結局・・・私の心を鎮めることに他ならない。

私は其れを若くして既に無意識にも知っていたようだ。
私が以下の詩に強く惹かれたのは二十歳前だったのだから。

そのときは知らなかった意味が今は痛烈に理解できる。
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わが為は 墓もつくらじ-。
 然れども 亡き後(あと)なれば、
  すべもなし。ひとのまにまに-

   かそかに ただ ひそかにあれ

  生ける時さびしかりければ、
  若し 然(しか)あらば、
  よき一族(ひとぞう)の 遠びとの葬(はふ)り処(ど)近く-。 

  そのほどの暫しは、
  村びとも知りて、見過ごし、
 やがて其(そ)も 風吹く日々に
 沙(すな)山の沙もてかくし
 あともなく なりなんさまに-。

  かくしこそ-
  わが心 しずかにあらむ-。

 わが心 きずつけずあれ
     (釋超空)

漱石と鴎外の死生観

以下は漱石と鴎外の死生観の一端を私なりに見た、言わば私の独断である。
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夏目漱石の『硝子戸の中』を漱石の内面的な自伝とするならば、森鴎外の『妄想』は鴎外の内面的自伝と言えるかも知れない。

自伝というのが大げさなら、彼らの内面の一部の告白だと言い換えてもよい。いずれにせよ、それらのエッセーには彼らの死についての思いが語られている。

ここで語られている彼らの死についての思いも、真正面に論じられているものではなく、言わば余談として語られている。
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余談であるにせよ、漱石や鴎外という巨人の言葉であるから、我々にとって彼らの思いには重みはある。

そして、この巨人たたちの死についての感想に或る共通点があるのは私には興味ぶかい。彼らの死の感想は恐らく日本人の死生観の本質を代弁しているように私には思える。
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先ず漱石は『硝子戸の中』の8章で以下のように書いている。

『不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつゝある私は、自分の何時か一度到着しなければならない死といふ境地に就いて考えている。さうして其の死といふものを生よりも楽なものだとばかり信じてゐる。ある時はそれを人間として達し得る最高至高の状態だと思ふこともある。「死は生よりも尊い」』 と書き出している。

そして、その最高至高と思われる死へと踏み切れぬ理由として挙げていることは、この世で何千年と続いている『如何に苦しくとも生きるべきだ』という慣習だと言うのだ。
(正確には本書の該当章を読んで欲しい)

漱石の願望する死に抵触するものは、いわゆる宗教教義ではなく、単なる『生きることが先決だ』という慣習に過ぎないというのだ。

私流に漱石の死生観を言い換えると、我々は生に意義があるから生きているのでなく、単に慣習として、本能として生きているに過ぎない、ということになる。

そもそも、人間以外の他の生物は自身の生に意義をみつけて生きているのだろうか。そうではあるまい。無意識の本能に従って生きているに相違ない。

極論を云えば、地上に投げられた石が地面へと落下していくように。

人間もその例にもれない。漱石の死生観を突き詰めればそうなる。生きている、ということに対する漱石の苦悶は恐らく其処にあったのだろう。漱石の正直さは其処にあるように私は思う。

そのような漱石の苦悶があればこそ則天去私という境地へ行ったのかもしれない。

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一方、鴎外は、西洋の『自我』というモノの自身の不在に、痛切に心の空虚を感じ、いわれもない寂しさを覚えると語り、『妄想』で自身の死について以下のように書いている。

『自分には単に我(われ)がなくなるというだけなら、(死は)苦痛とは思われない。ただ刃物で死んだら、その刹那に肉体の痛みを覚えるだろうと思い、病や薬で死んだら、それぞれの病症薬性に相応して、窒息するとか痙攣するとかいう苦しみを覚えるだろうと思うのである。自我がなくなるための苦痛はない。』

又こうも書いている。
『(自分が死んだら)二親がどんなに嘆くだろう。それから身近種々の人のことも思う。どんなにか嘆くだろうと思う』

鴎外は自分の死に対して懸念しているのは『自我の喪失』ではなく、自分の係累の嘆きであり、更に言えば死に伴う肉体的苦痛だけなのだ。そして

『自分は人生の下り坂を下っていく。そしてその下り果てたところが死だということを知っている』という、言わば乾ききった感想である。これはニヒリズムでもなければペシニズムでもない。冷徹な科学者の眼である。鴎外は以下のようにも言っている。

『私の心持をなんという言葉でいいあらわしたらよいかというと、resignationがよろしいようです。私は文芸ばかりではない。世の中のどの方面にもおいてもこの心持でいる。それでよその人が、私のことをさぞ苦痛しているだろうと思っているときに、私は存外平気なのです。もちろんresignationの状態というものは意気地のないものかも知れない。その辺は私のほうで別に弁解しようとは思いません。』

鴎外という人は、『人生の下り坂の果ての自身の死』についてもresignationという心持の乾いた眼で見つめていたようだ。

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以上は私が鴎外と漱石の残した文章から見た彼らの死生観の一端だが、恐らく其の死生観には私自身のバイアスがかかっているだろうと思う。

つまり私の独断による偏見があることは承知の上で、私は
私なりに彼らの苦悩を読み取ることができる。

その苦悩は、彼らほど明晰でなくとも、私を含めて全ての日本人の底にある苦悩と通底していると思われる。
日本人が、それを明確に意識する、しないに関らず。