2015年6月23日火曜日

『火の用心!!』遊びのこと

以下は昭和24,5年頃の話であるが、我が故郷・金谷(かなや)町は、小さな地区に分割され・・・その地区は、せいぜい数十軒単位であったが・・・その地区ごとに子共会があった。その子供会は小学生以下の隣・近所の子供たちから構成されていた。
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その子供会には子供たちだけによる幾つか行事があった。詳しくは忘れてしまったが、その一つだけは覚えている。それは冬の晩に行われた『火の用心の呼びかけ』であった。地区内の子供たちが集まり、その地区内の小道を歩きながら、拍子木を叩き、『火の用心!!』と大きな声で合唱するのであった。
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その行事は、たぶん、小学校の冬休みの日に毎晩のように行われたと記憶している。毎晩、約10名程度の子供たちが集まり、その中の一人が拍子木を叩き、先ず一人が『火の用心!!』と叫ぶ。その後、他の子供たちが『火の用心!!』と大声で復唱するのであった。
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この行事への参加は強制されたものではなく自由参加であったが原則として小学生に限られていた。しかし小学生以下の子供も面白がって参加したものだった。
いわゆる『遊び』というものが少なかった時代であったから、この行事は当時の子供たちにとっては恰好の『遊び』だった。夕暮れ時に、気ごころ知れた遊び仲間たちが、遊び慣れた近所を一緒に歩くと言うこと自体が面白く、私は毎晩のように参加したものだった。
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『火の用心!!』という文言は、これ以外の文言も叫ばれたものだ。例えば『マッチ一本、大火事のもと!!』とか。これらの文言以外に、どのような文言が使用されたか今となっては忘れてしまったが、他に、一つだけ覚えているものがある。
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それは、こんな文言は以下のようなものだった。
『いくら、かわいい、わが子でも、マッチ一本、もたせるな!!』
ところが此の文言がPTAあたりで問題視された。子供らしからぬ文言だというのであった。
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いつの時代でも、子供たちのアレコレに過剰に反応する親たちがいるものだ。『いくら、かわいい、わが子でも』という文言が、そのような親たちには、耳障りに聞こえたらしい。今から振り返ってみても、私はアホくさく思うのだが、ともかく此の文言は禁句となってしまった。
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いずれにせよ、この『火の用心!!』合唱『遊び』は、私の子供の頃の懐かしい思い出となっている。たぶん現在は此のようなコトは子供たちには行われていないだろう。良きにつけ悪しきにつけ、子供たちの『遊び』そのものが変質してしまってるだろうから。
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さて音楽は何にしようか。私は江戸川乱歩の『怪人二十面相』が大好きだったが、それにしよう。この『火の用心!!』遊びは、私にとっては、ちょっとスリリングな遊びだった。私の地区には、お墓もあったし、竹藪もあった。その傍の小道を歩くとき、なにか怪しげなモノが隠れているように私は空想したものだった。
https://www.youtube.com/watch?v=HBYfpsfL9UE

2015年6月17日水曜日

咳をしても一人

咳をしても一人
これは有名な尾崎放哉の俳句。
以下はWikpediaに掲載されている尾崎放哉の人物像だ。
『吉村昭によると、性格に甘えたところがあり、酒がやめられず、勤務態度も気ままなため、会社を退職に追い込まれたという。(中略) 吉村が1976年に取材のため島を訪ねた時、地元の人たちから、「なぜあんな人間を小説にするのか?」と言われたほどで、「金の無心はする、酒癖は悪い、東大出を鼻にかける、といった迷惑な人物で、もし今、彼が生きていたら、自分なら絶対に付き合わない」と、吉村自身が語っている。』
貴方は此のような人物と関りをもちたいですか?
たぶん、NOでしょう。私だって後免こうむりたい。
しかし掲題の俳句に私は惹かれるのは事実。此の寂寥感は、たった5文字なのに、いや、たった5文字であるが故に、おそらく全ての人・・・但し、たった5文字であることを理解できる人・・・が共感するであろう普遍性をもっていると私は思う。そういう意味で恐らく時空を超えた普遍性を持つと私には思われる。
俳句というより芸術を生み出す代償が上記のような人物であらねばならぬとしたら、芸術とは何と皮肉なものだろう。
私たちは、概して、芸術の果実を飽食しながら、その芸術を生み出した人たちの惨憺たる苦渋を忘れがちだ。しかし、それがイケナイということではない。
芸術というものは本来そういうものだろうから。
ただ私はここで芥川龍之介の以下の警句を思い出さざるを得ない。
『天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。同時代は常にこの一歩をの千里であることを理解しない。後代は又この千里の一歩であることに盲目である。同時代はその為に天才を殺した。後代は又その為に天才の前に香を焚いてゐる。』
この警句の極端な例が尾崎放哉であり、種田山頭火だろう。
いや、彼らほどでなくとも、私たちが現在『香を焚いてゐる』芸術たちの果実を、私たちは無邪気に飽食している。

繰り返すが、其れがイケナイということではない。芸術というものは、所詮、そういうものだろうから。ただ、私たちは其の飽食の途中での一瞬でも、その作者達の苦悩に思いを馳せることも決して無益なことではないだろう。

2015年6月12日金曜日

池水は濁りににごり・・・

『池水は濁りににごり藤波の影もうつらず雨降りしきる』 (伊藤佐千夫)

私の好きな歌の一つである。作者の心の陰翳が分かるような気がする。

ところで『影もうつらず』を『影もうつさず』にしたほうが、私としては自分の好みにあうような気がする。

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『影もうつらず』だと、純然たる自然描写に見えると思うが、『影もうつさず』だと、純然たる自然描写を超えて、或る『感情』が歌の表面に顕(あら)われるてくるように私には感ぜられる。

その『感情』とは『鬱々たる心情』であって、その心情が直截に、読者たる私に訴えてくる。
そして私は直截に其の感情に共感できる。

だから『影もうつさず』のほうが、私は、より強く此の歌に共感できる。

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上記したことは歌の素人の独断である。

2015年6月10日水曜日

別れの曲

私が通った中学校は、***大学教育学部付属###中学校であった。

其の大学の卒業予定者たちが、小or中学校の教師になるための教育実習として、上記の中学校に赴任してきた。

付属中学校は当地近辺に複数あったから、私が通っていた中学校には10名程度の実習生が来た。

その実習生たちは中学一年生の各クラスに配属された。クラスは、3クラスしかなかったので一クラスには数名の実習生が1箇月間、専属として教育実習をした。

従って、その1箇月間は私たちの実質上の先生は其の実習生たちであった。

当時、男性の実習生は黒服の学生服姿であった。
私たち生徒から見ても、彼ら実習生には初々しさがあった。

其の教育実習は四月から五月にかけて行われたと記憶している。

今から振り返ってみると、私が通っていた其の学校には或る開明さと自由さがあったと思う。

此の開明さと自由の学風は、おそらく其の一端は教育実習生たちが、もたらしたものだと思う。

その意味で私の中学生生活は思い出す度に或る薫風のような爽やかさを常に私は感じている。

教育実習生たちの其の実習期間が終了するとき、私たち生徒たちが講堂に集まり、実習生たちを前にして二つの曲を合唱した。

その一つがショパンの『別れの曲』であり、他の曲は当時私の知らない曲だったが、私は此の曲のほうが好きであった。

あれから既に半世紀以上も過ぎたが私は其の曲の歌詞と旋律は今迄も覚えている。
以下の歌詞だった。
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わかくさ もえ そめし
かの おかべに たち
きみと かたりたる
おもいで なつかしや
されど いま わかれなん
また あう ひ まで
おもいで しのびつ
きみが さち いのらん
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この曲は誰のものだろう。昔から知りたかった。 

そこで、今回、ネットで調べたが、なかなか分からなかった。

そして、この曲はドメルという人が作曲した讃美歌だと突き止めた。
更に、 You Tube で、ついに見つけた。


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歌詞は、私が覚えていたものと違うが、上記の歌詞は誰のものだろう?
もしかしたら、我が中学の音楽担当の先生・・・今でも覚えているが長谷川先生だが・・・の作詞かも知れない。
私は小学校から大学まで、同窓会に一切出席したことはない。だから、確認はとれない。しかし、私は長谷川先生の作詞と一生思い込んでいるつもりだ。
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この曲は、まぎれも無く、私には春の温かい陽射しを感じさせる懐かしい曲であり、私の青春への貴重な一頁の曲でもあるし、今後も私は此の曲を愛し続けるだろう。

2015年6月8日月曜日

『 ニーベンルングの指輪』(ワーグナー)

私にとっては初めて観たワーグナーの楽劇だったので今でも、それを印象深く覚えている。
それは確かNHK BSが放送開始の目玉番組として放送したもので、演出はパトリス・シェロー、バイロイト祝祭管弦楽団で指揮はピエール・ブーレーズ。
 なにごとも初体験というものは、良くも悪くも自身の嗜好を決めてしまうものだが、私にとっては、特に此の 『指輪』 の 『ラインの黄金』 が素晴らしかったので、その後TVで観た他の人の演出のものは物足りないものを感ずる。
 特に半神ローゲ役がそうだ。此のローゲ役のハインツ・ツェドニクは私の大のお気に入りになってしまい、他の人のローゲは物足りないものを常に感じている。
 『ラインの黄金』 に登場する「神」たちのなかで特に魅力的な登場者が火の神( といっても半神だが )であるローゲなのだ。ものの本によると、ローゲ(Loge)の語源は、Luge(嘘:但し、uにはウムラウトが付く。)だそうだ。
 このローゲは火と策略と嘘の神で、トランプのカードでイメージすると、あの「ババ抜き」の「ババー」のジョーカーに似ている。あるいはメフィストフェレス。
あるいは皮肉屋の子悪魔。もしくはピエロ。「神」から見下されている半端モノの最下位の神:「半神」。これが、『指輪』で一番魅力的な()神だ。
このパトリス・シェロー版では、ローゲは「せむし」姿の黒装束で登場する。長身にして細面(ほそおもて)で痩せ型のハインツ・ツェドニクは、まさに適役だった。
この 『ラインの黄金』 での特に印象的は舞台は、豊饒と愛の女神「フライア」が羽織っていた白い絹状のショールをローゲが奪い、そのショールをローゲ自身にまとわらせ歌唱する場面。
この場面は「アルベリヒ」が「愛」を捨てて「黄金」をラインの乙女たちから奪った、その「いきさつ」を語る舞台だが、これが実に良かった。勿論、音楽も。
 白いショールと言えば、母なる大地の奥に住む・知恵の女神「エルダ」が登場する場面も実に良かった。白いショールを、ほぼ全身にまとい、「エルダ」が「ヴォータン」を説得する場面の神秘的な雰囲気の良さ。まさにワグナー的陶酔感を味わえる。
 しかし、やはり極めつきは、この『ラインの黄金』の最後の場面だ。
舞台の遠くからラインの三人の乙女たちの透明な合唱が聞こえるなか、ヴァルハラ城へと向かう神々に背を向け、ローゲだけが不思議な微笑をたたえながら舞台のカーテンを引いていき舞台を終わらせる。
この最後の箇所こそ、ワグナーの音楽特有の媚薬的な陶酔感をひたることができる。シビレルとはこのような体験を言うのだろう。

私はこの 『ラインの黄金』 を大いに気に入り録画したのだが、あの頃は私はベータ機器で録画していたので、結局その録画を、その後観ることはできなかった。それまで無念の思いを続けていたのだが、何年か前、パトリス・ショロー版の 『ラインの黄金』 のDVDで発売されたので、すぐ購入したのだった。
勿論、すぐ観た。またまたシビレタものだった。
おお、ハインツ・ツェドニクよ!!

大変嬉しい再会だった。

2015年6月7日日曜日

映画『イレイザーヘッド』と青春の特権

人生の換え難き時期が青春期だとするならば、その時期でなけれは制作不能の思われる映画の典型として私は此の映画を挙げる。

若きデヴィッド・リンチが5年の歳月をかけて、自身が監督・脚本・美術・編集をして作りあげた1977年(米国公開)の映画だ。

この映画は、深夜の映画館で一部の若者たちに熱狂的に支持された、いわゆるミッド・ナイト・カルト映画の典型と言われたりする。当然なことだ。

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青春とは何か? 

青春とは、自身の内部に在るモノを、とことん突き究める「一途さ」だと私は思っている。

其の「一途さ」は換言すれば「自己への盲信」だが、その「盲信」こそ青春の特権だと私は思う。

人は歳を重ねるにつれ、人世のアカ(良く言えば知恵)が付着していき、青春の持つ、そのような「一途さなり自己への盲信」を失っていく。いわゆる「まるくなる」のだ。

では此の映画の「一途さ」とは何か?

それはデヴッド・リンチの頭の中に在るイメージを徹底的に追及し其れを映像としてイメージ化する、そのような行為の「一途さ」だと私は思う。

だから此の映画には商業的な成功や、更に観客の存在すら一切眼中になく、自身の持つ内的イメージの徹底した映像表現の追及、それしか存在しないように思える。その徹底ぶりは痛快ですらある。

此の映画は、デヴッド・リンチによる、デヴッド・リンチためだけの、デヴッド・リンチの動く絵画集であり、それ以外の何物でもない。

このように徹底した自己満足による究明を行う・・・それこそ青春の特権と言えるのではないか。

https://www.youtube.com/watch?v=dU7OqGCIcak

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但し還暦過ぎて、此の映画をご覧になっていない方は、ご覧にならない(←タイプミスではない)、ご覧にならないことを勧める。 私が以下の感想をもつようになったのは此の映画を数回観た後の感想だから。

2015年6月5日金曜日

『鮎宿で薩摩弁を問い返し』

『あゆやどで さつまなまりを といかえし』
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もう20年以上も前のことだがNECのPC-VANの或るSIG (此のサイトのコミュニティのようなものだが) で、郡上八幡が話題に上がった。
此のSIGには5,6名の常連がいた。私も其の一人だったが、その常連の一人に、確か「たねり」というHNだと記憶しているが、少しクセのある人物がいた。
皆が「白」と言えば、「黒」と云わないまでも、その「白」にイチャモンをつける一言居士であった。彼の日頃の発言からして、およそ風流とは無縁な『乾いた』人物に見えたものだ。
郡上八幡の郡上節の『かわさき』を遠くで聞くともなく聞いているのは良いものだ、との私の発言がキッカケで郡上八幡の話題で盛り上がったものだった。
そのとき、件の人物が、ふと自作の句を披露した。それが掲題の俳句であった。
それを見たとき私は良い句だなと思った。しかし、強いて其のことは発言しなかった。他の常連たちも何の発言もなかった。結局、彼の披露した俳句は無視される形で話題は続いた。
その無視は、彼の日頃の一言居士振りの結果だったのだろう。

俳句の素人である私は其の句の客観的な評価は出来ない。しかし盆踊りの盛夏の季節になると郡上八幡の『かわさき』の哀調と共に彼の句を常に思い出す。

2015年6月3日水曜日

『無言歌集』と、お袋の味

私はメンデルスゾーンの『無言歌集』のCDをもっている。

大きな声では言えないが此れは、昔、図書館から借りてダビングしたものだ。
このCDの原盤?は、図書館の音楽教材の棚に並んでいたものだった。つまり、ピアノ演奏の初心者向けの教材らしいCDだった。

今更言うまでもなく私は音楽の楽譜も読めないし、如何なる楽器も演奏できない、全くのスブの素人である。しかし幸いなことに聴覚は人並みにあるから音楽を聴くことはできる。

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そのようなズブの素人の私でさえ、このCDを聴くとき常に感ずるのは、いかにも楽譜どおりに弾いています、という『几帳面さ』だ。それはそうだろう、教材なんだから。

メンデルスゾーンの『無言歌集』は私は此のCDでしか聴いたことがない。いや一度だけ何とか言う演奏家のものを聴いたことがあるが其れは後述する。

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『お袋の味』という言い方がある。

例えば、結婚後、亭主が嫁さんの作った味噌汁に何か馴染めず、お袋のモノのほうが旨いとフト漏らして、嫁さんから睨(にら)まれる、という具合に。

私における、メンデルスゾーンの『無言歌集』は、まさに『お袋の味』に今やなっていて、この『几帳面な』演奏でなければ、何かモノ足りないものを感ずるようになってしまった。

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いつだったか、テレビで、何とかという著名な演奏家の演奏によるメンデルスゾーンの『無言歌集』を聴いたことがあった。私は其のとき、或るイヤラシサを感じたのだった。

音楽の演奏というものは、演奏者の解釈が必須らしい。楽譜どおりに弾くのは初心者だけであって、プロではない・・・というのが此の世界の常識のようだ。

私が感じたイヤラシサは、そのプロの『解釈』にあったのは明らかだった。

つまり、その『解釈』は、『お袋の味』ではない故に、或る不快さを私は感じたのだった。 勿論、これは私の主観に過ぎない。

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人は案外、自身に気づかぬとも、この『お袋の味』というモノに、意識下でも無意識下でも、影響を受けているようだ。『三つ子の魂百まで』という格言もある。

あるいは少し大げさに言えば、一種の『刷り込み』現象と言えるかも知れない。

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余談だが、メンデルスゾーンの『無言歌集』で私が好きな曲は7番目の曲だ。勿論、『几帳面な』演奏での。