2015年12月9日水曜日

『ワタミ過労自殺』に思うこと

この「事件」については既にメディアで放送されているから詳細は省略。

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「過労」で自殺した娘さんの真の事情は所詮他人には窺がい知れないが、たぶん追い詰められた結果であろう。

死ぬくらいなら会社など辞めてしまえばいいのに、と私は無責任に思う。どんな手段をとってもね。

彼女の両親を責める気は私はサラサラないが、とはいうものの、彼女の「労働」の異常さに気づかなかったのだろうか?

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「ブラック」企業の「若者の使い捨て」の実態は私は分からないが、『ワタミ過労自殺』は氷山の一角だろう。

いったん、使い捨てられたら、(正規)社員として、同一企業でなくても再就職は極めて困難な事情もあるのだろう。

いずれにせよ、今日は、いろいろな意味で多くの人々にとって、労働のみならず生存が困難な世情であろう。

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しかし若者は、たとえ困難な時代であっても「若さ」という何よりも貴重なモノがあるではないか。

その若い命を自ら断つということは、理由は何であれ、私には残念・無念だと思わざるを得ない。

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かくも呑気に言う私も餓死しない程度の「雀の涙」の年金で、その日、その日を文字通り無為にすごしている言わば『座して死を待つ』だけの情けない状態ではあるのだが、やはり我が恥ずかしの人生を顧みても、しみじみ思うことは『若いということ』の貴重さだ。

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いつの時代でも、たとえ其の時代が若者にとって、どんな困難な時代でも、やはり『若さ』は何よりも代え難いものだ。

ワタミの娘さん(自殺当時26歳)も、過酷な言い方になるだろうが、ともかく生きのべるべきだった・・・・。

人はいつかは必ず死ぬ。だから彼女も先ずは自身の寿命までは生きてほしかった。

2015年11月28日土曜日

加藤和彦と原節子の死

加藤和彦は首つり自殺したが、遺書に『死にたいというより、消えてしまいたい』と書いてあったそうだ。

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原節子は今年の九月に亡くなっていたという。

探偵好きな世間が、よく今迄、彼女の死を知らなかったのには、ちょいと驚く。

彼女らしい死に様だが、彼女の後半生は、加藤和彦の自殺の心情を連想させる。

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『死にたいというより、消えてしまいたい』・・・・。

そんな気持ち・・・私も分からないではない。

2015年9月8日火曜日

エリック・クラプトンを視聴したい

といっても私は此の人については無知。

ただ、BSで2001年の東京公演が放送され、
私はそれを録画しているものだから時々其れを
視聴しているだけ。

今日は冷たい小雨が降り続いている。
どんよりとした厚い雨雲が
私の神経を更に疲れさせている。

なにも、やる気がおこらない。

クラシックも聴く気がしない。
若造達の音楽とやらも更に鬱陶しい。

こういうとき、なぜかエリック・クラプトンに惹かれる。

なぜか。

大人の男の顔が見たいからだ。
彼は私より一歳下だ。70歳。

男は、やはり、こういう男の顔に惹かれるのだ。

鬱々たる午後には。

『穏やかであることを学べ』

私のプロヒの「好きな言葉」欄に書いた、『Study to be quiet』は開口健から教わった言葉だ。
彼の晩年の、TVの魚釣り番組からだった。

彼は海外での、ルアーによる大物釣りだけに凝っていた。
魚釣りには、よくあることだが、坊主である(何も釣れない)ことが多い。
その日も開口健は坊主が続いていた。
***
実は私も30年程前は魚釣りに凝ったことがある。

私は、ただの餌釣りだったが、勤務先に嘘を行って休み、鯉釣りに行ったり、日光の渓谷に鱒釣りに出かけたものだった。そして坊主がよく続いた。

恐らく、魚釣りの多くの人は坊主のとき、その心の中は、「この野郎」だの「こんちくしょうめ」だので頭がいっぱいだろう。まことに穏やかならぬ、不平、不満たらたらである。
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『釣魚大全』という本がある。
魚釣りの聖書と言われたりする、アイザック・ウオルトンの本である。

坊主が続いた開口健は、よく喋る。あの、ちょっと甲高い声で。
そのとき彼は『釣魚大全』に語り始めた。この本の最後に、

Study to be quiet

と書いてあると言った。私は知らなかった。そして彼は此の言葉を、『穏やかであることを学べ』と訳した。とても良い言葉だと私は思った。この言葉自体も聖書にあるらしい。
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私の余生は今やタカがしれているが、もし今度、人間に生まれ変わったら、本格的にフライフッシングを学びたいと思っている。

2015年9月7日月曜日

『楢山節考』と敬老の日

私は深沢七郎の『楢山節考』は読んではいない。確か木下恵介(昭和33年制作)の映画はみている。70歳になって山に捨てられる老女は田中絹代が演じていたのも記憶している。
Wikiによれば、この小説は以下のように紹介されている。
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『楢山節考』(ならやまぶしこう)は、深沢七郎の短編小説。民間伝承の棄老伝説を題材とした作品で、当代の有力作家や辛口批評家たちに衝撃を与え、絶賛された、当時42歳の深沢の処女作である。山深い貧しい部落の因習に従い、年老いた母を背板に乗せて真冬の楢山へ捨てにゆく物語。自ら進んで「楢山まいり」の日を早める母と、優しい孝行息子との間の無言の情愛が、厳しく悲惨な行為と相まって描かれ、独特な強さのある世界を醸し出している。
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映画も此のストーリーどおりであったと記憶している。
この映画を観たのは私は中学生の頃だが、正直、気の滅入る映画であった。
小説も読む気にはなれなかった。当時、私にとっては、あまりに異界の世界だったからだ。
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此の国では飽食の時代と言われて久しいが、飢餓の体験は私たち世代・・・と言っても私は今や「捨てられる」べき古稀を既に過ぎたが・・・にとって身近にあった時代でもある。
あるいは近い将来において、何らかな理由により空前なる飢餓の時がくる可能性も高い。だから、『楢山節考』が将来、異界の世界とはならないとは誰も決して言えない。
その時の現実は、此の小説のように『優しい孝行息子との間の無言の情愛が、厳しく悲惨な行為と相まって描かれ、独特な強さのある世界を醸し出』すほど、甘くはないだろう。残念ながら。
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Wikiで或る人の発言も紹介している。いわく、
『姥捨て」は「高齢者福祉」という21世紀の大きな問題として存在し、介護施設に親を入れることは、「楢山まいり」に行くことと重なり、老いと死は人間の根本的な問題の「根源神話」であるとし(以下省略)』
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私は介護施設が「楢山まいり」とは決してならないと信じたい。ただ私の過去の個人的体験としては現行の介護施設制度がなかったら、私は恐らく自殺に追い詰められていただろうと推察できる人間の一人ではある。
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Wikiでは、いろいろな人が此の小説についての感想の断片も紹介している。
その中で三島由紀夫の感想が印象的だったので、少し長いが引用しておこう。
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また三島は、後年のエッセイの中で、新人の作品を読むとき、「慄然たる思ひ」を只一度感じたのが、深沢七郎の『楢山節考』の生原稿を読了した時だったと振り返りかえっている。
そして『はじめのうちは、なんだかたるい話の展開で、タカをくくつて読んでゐたのであるが、五枚読み十枚読むうちに只ならぬ予感がしてきた。そしてあの凄絶なクライマックスまで、息もつがせず読み終ると、文句なしに傑作を発見したといふ感動に搏たれたのである』と述懐しながら、以下のように語っている。
しかしそれは不快な傑作であつた。何かわれわれにとつて、美と秩序への根本的な欲求をあざ笑はれ、われわれが「人間性」と呼んでゐるところの一種の合意と約束を踏みにじられ、ふだんは外気にさらされぬ臓器の感覚が急に空気にさらされたやうな感じにされ、崇高と卑小とが故意にごちやまぜにされ、「悲劇」が軽蔑され、理性も情念も二つながら無意味にされ、読後この世にたよるべきものが何一つなくなつたやうな気持にさせられるものを秘めてゐる不快な傑作であつた。今にいたるも、深沢氏の作品に対する私の恐怖は、「楢山節考」のこの最初の読後感に源してゐる。
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三島は此の小説を「不快な傑作」と評している。
今生という世界は、何も此の小説のみならず、其の大半の世界は『崇高と卑小とが故意にごちやまぜにされ、「悲劇」が軽蔑され、理性も情念も二つながら無意味にされ、この世にたよるべきものが何一つな』いのが偽らざる普通人の実情だと私は思っている。
今年の九月二十一日は敬老の日である。

感謝される人間が、感謝する人間よりもベキ乗で増加しつつある現在、この祭日も近々無くならざるを得ないだろう。

2015年8月30日日曜日

死とは雑念からの解放

『平家物語』に『鬼界が島』に追放された俊寛僧都の有名な話がある。

知る人ぞ知る悲話であるが、有王は都へ生還し俊寛の娘に会う。
その箇所を『平家物語』は以下のように簡潔に記述している。
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(前略)その後都へ上り、僧都の御女の忍んでおはしける所へ参つて、ありし様、初めより細々と語り申す。なかなか御文を御覧じてこそ御思ひはまさらせ給ひて候ひしか。硯も紙もなければ、御返事にも及ばず。思(おぼ)し召され候ひし御事、さながらむなしうやみ候ひにき。(後略)
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『思(おぼ)し召され候ひし御事、さながらむなしうやみ候ひにき』

この文章は含蓄のある言葉だ。

『平家物語の世界』(水原一著、NHK放送ライブラリー、昭和51年初版)では著者は此の言葉の意味を以下のように解説している。

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私たちは一瞬の休みもなく次から次へといろいろな事を思い続けております。
人一日一夜を経るに八億四千の思いあり、などと申しまして、とりとめもない事も、まともな事も、とにかくびっしりと思い続けている。

死ぬということは、その人間の中味ともいうべき念々の思いが一切絶え、雲散霧消してしまうことなんですね。鬼界が島で生を終えた俊寛。無限の思いを抱きながら、その一切が、「むなしうや」んでしまった、その空しさこそが「死」というものなのであります。(後略)
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名解説と言えるだろう。

2015年8月27日木曜日

能『鉄輪の女』の姿の怪異さ

『鬼の研究』(馬場あき子)に、能『鉄輪の女』の記載がある。(原典は『平家物語:剣の巻:鉄輪の女』) 以下に其の一部を引用する。

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嵯峨天皇の代の頃、ある公卿の女、あまりに妬み深く、貴船に七日籠り鬼になることを求めたところ、宇治の川瀬に潔斎して鬼となるよう至現があった。

女は喜んで、丈なす髪を五つに分け、五つの角に擬して結い上げ、顔には丹を塗り、鉄輪(かなわ)を戴き、その三つの脚には松明をともし、さらに松明に火をつけて口にくわえ、夜更けてのち都大路へ走り出して行った。

頭より松明の炎はふき流れ、眉太く鉄漿(かね)ぐろに、顔も赤く、身の赤いので、それはまさに鬼であったが、ついに宇治川に二十一間浸かり清まって、生きながらほんとうの鬼になったという。(後略)

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謡曲集の『鉄輪』では以下のように書かれている。

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身には赤き衣(きぬ)を截ち着、顔には丹(に)塗り、髪には鉄輪を戴き、三つの足に火を灯(とも)し、(中略)、気色(けしき)変じて今までは美女の形と見えつるに、緑の髪は空さまに、立つや黒雲の、雨降り風となるかみも、思ふ仲をば裂けられし、恨みの鬼となって、人に思ひ知らせん、憂き人に思ひ知らせん (後略)

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ここで、鉄輪とは五徳(ごとく)のことであるが、数十年前までに日常の生活に使われていた物で、鉄製の輪に三本の足をつけた器具で火の上に置き鍋などをのせていた。

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私が興味があるのは、この鬼になる女の怪異な姿である。

即ち、『丈なす黒髪を五つに分け、それを五つの角に擬し、鉄輪(五徳)を逆さまに頭に載せ其の三つの足に松明を灯(とも)し、更に、顔には丹を塗り、かつ、炎のついた松明を口にくわえる』という姿は、実に異様であり、この異様な姿は何に基づくものだろうか? 何か、『言われ』があるに違いない。

私は此の『鉄輪の女』の物語も、さることながら、この鬼となった此の女の異様な姿そのものに興味と関心がある。

このような姿にするには何か『言われ』があるのだろうか?もし、あれば、私は其れを知りたい。

2015年8月22日土曜日

日常性の中の不条理

私は、なんでもない日常性の中潜む非日常なことの不条理に関心がある。

それは誰にでも、いろいろな出来事として遭遇しえる体験でもある。
例えば交通事故。突然の心筋梗塞。巨大地震。竜巻。集中豪雨。等等

自分には無関係だと思いこんでいた非日常なことが突然我が身の現実となる。

今生において一番怖いものとは、要するに、このような『なんでもない日常に潜む非日常なことの不条理』ではないだろうか。

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今から何十年か前の或る夏、NHKラジオの日曜名作座という番組で、百鬼園夜話と題された語りが放送された。

日曜名作座は知る人ぞ知る長寿番組で当時、森繁久彌と加藤道子が担当していた。

その夏の或る週の毎日曜日の夜、一話限りの語りが放送された。

その頃、私は其の放送を寝ながら聞いていたものだが其の語りの内容自体は、いたって単純なもので、以下のような噺だった。

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『私』は或る用事で近所に外出することになった。

自宅は清閑な所にあり、『私』は『私』の妻の二人だけで其の家に住んでいた。外出したのは夏の暑い午後で、たいした用事ではなく直ぐ帰宅した。

いつも通り玄関から家に入り、いつもどおり居間に戻ってみると、家の中が、いつもと何か違って静かである。もともと清閑な所に在る家だから、静かなのは当然だが、その静けさが、何か、いつもと違う。

『私』は何となく落ち着かない気分に襲われる。

いつもどおりの居間を、よく見ると妻が居間の隅に居た。

しかし妻は死んでいた。

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ただ、これだけの話である。しかし、誰にでも起こり得る話でもある。

古関裕而の音楽と森繁久彌の語りだけの此の話は『あたりまえの日常の中に潜む非日常の怖さと不条理さ』。 ラジオという音声の世界だけであるが故に、聞く側に其のリアリティを与える。

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その頃、私は内田百閒は知らなかった。

上記の話が私には非常に印象的だったので、その後、内田百閒の小説を随分調べたが其の話自体は見つけられなかった。

たぶん、NHK担当者が脚色したのだろう。

私はもう一度此の日曜名作座の語りを聞いてみたい。

2015年8月18日火曜日

鈍感な人

鈍感な人は常にいるものだ。

私も其の一人だが、例えば、以下の例で示す人は私に言わせれば、やはり鈍感な人と言わざるを得ない。

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『盆踊り』という題の日記があるとする。

そこに以下の俳句がコメントとして書き込まれたとする。

『鮎宿で薩摩弁(なまり)を問い返し』

これは無名な人の俳句だが、私は秀句だと思っている。

この句を見て以下のように連想できない人は、私の言う鈍感な人だ。

鮎宿→鮎釣り→郡上八幡→郡上踊り→盆踊り

つまり上の俳句は『盆踊り』を連想させているのだ。

***

このような連想が出来ない人は私の言う鈍感な人だ。

このような連想の出来ない鈍感さは私の最も厭うタチの鈍感さなのだ。

勿論、此れは私の他人に対する趣味の問題に過ぎない。

2015年8月17日月曜日

芥川龍之介の鴎外への失礼

以下は鴎外の作品である。

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褐色(かちいろ)の根府川石に
白き花はたと落ちたり、
ありとしも青葉がくれに
見えざりしさらの木の花
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芥川龍之介は、『文芸的な、余りに文芸的な』の中の『十三 森先生』で以下のように書いている。森先生とは森鴎外のことである。

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先生の短歌や発句は何か微妙なものを失っている。(以下略)
-----------------------
果たして、そうだろうか。『微妙なもの』とは何か。所詮、芥川の主観に過ぎないではないか。
もし、そうだとすれば、芥川の上の言は鴎外に失礼ではないか。
失礼が語弊なら批評と言い換えてもよい。

***

私は上の鴎外の作品・・・それを短歌と呼ぼうが何と呼ぼうが此処では問題ではない・・・に『微妙なもの』を感ずる者の一人である。 たとえ其れが畢竟私の主観であったにせよ

2015年7月24日金曜日

『一言芳言』と『かぞえ唄』


『一言芳言』という、中世における念仏者たちの言を集めた聞書集がある。
その中に有名な下記の言がある。

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有(ある)人云く、比叡の御社(おんやしろ)に、いつはりて、かんなぎのまねしたる、なま女房の、十禅師の御前にて、夜うち深け、人しづまりて後、ていとうていとうと、鼓をうちて、心すましたる声にて、『とてもかくとも候、なうなう』とうたひけり。その心を人に問はれて云く、『生死無常の有り様を思ふに、この世のことはとてもかくても候。なう後世(ごぜ)をたすけたまへ』と申すなり、云々
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私は此の言の意味よりも、言葉遣いが大変面白いと思う。「ていとうていとう」とか、「とてもかくても」とか、「なうなう」とか。

真夜中、人気のない社で独り鼓を「ていとうていとう」と打つ「なま女房」は、私には或る種の「不気味さ」と、言い知れぬ「悲しみ」を感じさせる。

その「不気味さ」と言い知れぬ「悲しみ」は、芥川龍之介が『点心』で紹介している池西言水の一連の以下の句に通底している。

***
「姨(をば)捨てん湯婆(たんぽ)に燗(かん)せ星月夜」

「黒塚や局女(つぼねをんな)のわく火鉢」

「御忌(ぎょき)の鐘皿割る罪や暁(あけ)の雲」

「つま猫の胸の火や行く潦(にはたづみ)」

「夜桜に怪しやひとり須磨の蜑(あま)」

「蚊柱(かばしら)の礎(いしずえ)となる捨子(すてご)かな」

「人魂(ひとだま)は消えて梢(こずえ)の灯籠(とうろ)かな」

「火の影や人にて凄き網代守(あじろもり)

「あさましや虫なく中に尼ひとり」

***
特に最後の句は、『一言芳言』の伝える上記の「なま女房」を連想させる。

同様に童唄というものにも、言葉遣いの面白さがある。

以下の「かぞえ唄」も其の例であって、ここには「言い知れぬ哀調」があり、私は此のような種類の古謡の背後に、『一言芳言』の「なま女房」の声をも聞こえるような気がする。

https://www.youtube.com/watch?v=dA5DjAN2Wlo

2015年6月23日火曜日

『火の用心!!』遊びのこと

以下は昭和24,5年頃の話であるが、我が故郷・金谷(かなや)町は、小さな地区に分割され・・・その地区は、せいぜい数十軒単位であったが・・・その地区ごとに子共会があった。その子供会は小学生以下の隣・近所の子供たちから構成されていた。
***
その子供会には子供たちだけによる幾つか行事があった。詳しくは忘れてしまったが、その一つだけは覚えている。それは冬の晩に行われた『火の用心の呼びかけ』であった。地区内の子供たちが集まり、その地区内の小道を歩きながら、拍子木を叩き、『火の用心!!』と大きな声で合唱するのであった。
***
その行事は、たぶん、小学校の冬休みの日に毎晩のように行われたと記憶している。毎晩、約10名程度の子供たちが集まり、その中の一人が拍子木を叩き、先ず一人が『火の用心!!』と叫ぶ。その後、他の子供たちが『火の用心!!』と大声で復唱するのであった。
***
この行事への参加は強制されたものではなく自由参加であったが原則として小学生に限られていた。しかし小学生以下の子供も面白がって参加したものだった。
いわゆる『遊び』というものが少なかった時代であったから、この行事は当時の子供たちにとっては恰好の『遊び』だった。夕暮れ時に、気ごころ知れた遊び仲間たちが、遊び慣れた近所を一緒に歩くと言うこと自体が面白く、私は毎晩のように参加したものだった。
***
『火の用心!!』という文言は、これ以外の文言も叫ばれたものだ。例えば『マッチ一本、大火事のもと!!』とか。これらの文言以外に、どのような文言が使用されたか今となっては忘れてしまったが、他に、一つだけ覚えているものがある。
***
それは、こんな文言は以下のようなものだった。
『いくら、かわいい、わが子でも、マッチ一本、もたせるな!!』
ところが此の文言がPTAあたりで問題視された。子供らしからぬ文言だというのであった。
***
いつの時代でも、子供たちのアレコレに過剰に反応する親たちがいるものだ。『いくら、かわいい、わが子でも』という文言が、そのような親たちには、耳障りに聞こえたらしい。今から振り返ってみても、私はアホくさく思うのだが、ともかく此の文言は禁句となってしまった。
***
いずれにせよ、この『火の用心!!』合唱『遊び』は、私の子供の頃の懐かしい思い出となっている。たぶん現在は此のようなコトは子供たちには行われていないだろう。良きにつけ悪しきにつけ、子供たちの『遊び』そのものが変質してしまってるだろうから。
***
さて音楽は何にしようか。私は江戸川乱歩の『怪人二十面相』が大好きだったが、それにしよう。この『火の用心!!』遊びは、私にとっては、ちょっとスリリングな遊びだった。私の地区には、お墓もあったし、竹藪もあった。その傍の小道を歩くとき、なにか怪しげなモノが隠れているように私は空想したものだった。
https://www.youtube.com/watch?v=HBYfpsfL9UE

2015年6月17日水曜日

咳をしても一人

咳をしても一人
これは有名な尾崎放哉の俳句。
以下はWikpediaに掲載されている尾崎放哉の人物像だ。
『吉村昭によると、性格に甘えたところがあり、酒がやめられず、勤務態度も気ままなため、会社を退職に追い込まれたという。(中略) 吉村が1976年に取材のため島を訪ねた時、地元の人たちから、「なぜあんな人間を小説にするのか?」と言われたほどで、「金の無心はする、酒癖は悪い、東大出を鼻にかける、といった迷惑な人物で、もし今、彼が生きていたら、自分なら絶対に付き合わない」と、吉村自身が語っている。』
貴方は此のような人物と関りをもちたいですか?
たぶん、NOでしょう。私だって後免こうむりたい。
しかし掲題の俳句に私は惹かれるのは事実。此の寂寥感は、たった5文字なのに、いや、たった5文字であるが故に、おそらく全ての人・・・但し、たった5文字であることを理解できる人・・・が共感するであろう普遍性をもっていると私は思う。そういう意味で恐らく時空を超えた普遍性を持つと私には思われる。
俳句というより芸術を生み出す代償が上記のような人物であらねばならぬとしたら、芸術とは何と皮肉なものだろう。
私たちは、概して、芸術の果実を飽食しながら、その芸術を生み出した人たちの惨憺たる苦渋を忘れがちだ。しかし、それがイケナイということではない。
芸術というものは本来そういうものだろうから。
ただ私はここで芥川龍之介の以下の警句を思い出さざるを得ない。
『天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。同時代は常にこの一歩をの千里であることを理解しない。後代は又この千里の一歩であることに盲目である。同時代はその為に天才を殺した。後代は又その為に天才の前に香を焚いてゐる。』
この警句の極端な例が尾崎放哉であり、種田山頭火だろう。
いや、彼らほどでなくとも、私たちが現在『香を焚いてゐる』芸術たちの果実を、私たちは無邪気に飽食している。

繰り返すが、其れがイケナイということではない。芸術というものは、所詮、そういうものだろうから。ただ、私たちは其の飽食の途中での一瞬でも、その作者達の苦悩に思いを馳せることも決して無益なことではないだろう。

2015年6月12日金曜日

池水は濁りににごり・・・

『池水は濁りににごり藤波の影もうつらず雨降りしきる』 (伊藤佐千夫)

私の好きな歌の一つである。作者の心の陰翳が分かるような気がする。

ところで『影もうつらず』を『影もうつさず』にしたほうが、私としては自分の好みにあうような気がする。

***

『影もうつらず』だと、純然たる自然描写に見えると思うが、『影もうつさず』だと、純然たる自然描写を超えて、或る『感情』が歌の表面に顕(あら)われるてくるように私には感ぜられる。

その『感情』とは『鬱々たる心情』であって、その心情が直截に、読者たる私に訴えてくる。
そして私は直截に其の感情に共感できる。

だから『影もうつさず』のほうが、私は、より強く此の歌に共感できる。

***

上記したことは歌の素人の独断である。

2015年6月10日水曜日

別れの曲

私が通った中学校は、***大学教育学部付属###中学校であった。

其の大学の卒業予定者たちが、小or中学校の教師になるための教育実習として、上記の中学校に赴任してきた。

付属中学校は当地近辺に複数あったから、私が通っていた中学校には10名程度の実習生が来た。

その実習生たちは中学一年生の各クラスに配属された。クラスは、3クラスしかなかったので一クラスには数名の実習生が1箇月間、専属として教育実習をした。

従って、その1箇月間は私たちの実質上の先生は其の実習生たちであった。

当時、男性の実習生は黒服の学生服姿であった。
私たち生徒から見ても、彼ら実習生には初々しさがあった。

其の教育実習は四月から五月にかけて行われたと記憶している。

今から振り返ってみると、私が通っていた其の学校には或る開明さと自由さがあったと思う。

此の開明さと自由の学風は、おそらく其の一端は教育実習生たちが、もたらしたものだと思う。

その意味で私の中学生生活は思い出す度に或る薫風のような爽やかさを常に私は感じている。

教育実習生たちの其の実習期間が終了するとき、私たち生徒たちが講堂に集まり、実習生たちを前にして二つの曲を合唱した。

その一つがショパンの『別れの曲』であり、他の曲は当時私の知らない曲だったが、私は此の曲のほうが好きであった。

あれから既に半世紀以上も過ぎたが私は其の曲の歌詞と旋律は今迄も覚えている。
以下の歌詞だった。
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わかくさ もえ そめし
かの おかべに たち
きみと かたりたる
おもいで なつかしや
されど いま わかれなん
また あう ひ まで
おもいで しのびつ
きみが さち いのらん
-----------------------------------------
この曲は誰のものだろう。昔から知りたかった。 

そこで、今回、ネットで調べたが、なかなか分からなかった。

そして、この曲はドメルという人が作曲した讃美歌だと突き止めた。
更に、 You Tube で、ついに見つけた。


***
歌詞は、私が覚えていたものと違うが、上記の歌詞は誰のものだろう?
もしかしたら、我が中学の音楽担当の先生・・・今でも覚えているが長谷川先生だが・・・の作詞かも知れない。
私は小学校から大学まで、同窓会に一切出席したことはない。だから、確認はとれない。しかし、私は長谷川先生の作詞と一生思い込んでいるつもりだ。
***

この曲は、まぎれも無く、私には春の温かい陽射しを感じさせる懐かしい曲であり、私の青春への貴重な一頁の曲でもあるし、今後も私は此の曲を愛し続けるだろう。

2015年6月8日月曜日

『 ニーベンルングの指輪』(ワーグナー)

私にとっては初めて観たワーグナーの楽劇だったので今でも、それを印象深く覚えている。
それは確かNHK BSが放送開始の目玉番組として放送したもので、演出はパトリス・シェロー、バイロイト祝祭管弦楽団で指揮はピエール・ブーレーズ。
 なにごとも初体験というものは、良くも悪くも自身の嗜好を決めてしまうものだが、私にとっては、特に此の 『指輪』 の 『ラインの黄金』 が素晴らしかったので、その後TVで観た他の人の演出のものは物足りないものを感ずる。
 特に半神ローゲ役がそうだ。此のローゲ役のハインツ・ツェドニクは私の大のお気に入りになってしまい、他の人のローゲは物足りないものを常に感じている。
 『ラインの黄金』 に登場する「神」たちのなかで特に魅力的な登場者が火の神( といっても半神だが )であるローゲなのだ。ものの本によると、ローゲ(Loge)の語源は、Luge(嘘:但し、uにはウムラウトが付く。)だそうだ。
 このローゲは火と策略と嘘の神で、トランプのカードでイメージすると、あの「ババ抜き」の「ババー」のジョーカーに似ている。あるいはメフィストフェレス。
あるいは皮肉屋の子悪魔。もしくはピエロ。「神」から見下されている半端モノの最下位の神:「半神」。これが、『指輪』で一番魅力的な()神だ。
このパトリス・シェロー版では、ローゲは「せむし」姿の黒装束で登場する。長身にして細面(ほそおもて)で痩せ型のハインツ・ツェドニクは、まさに適役だった。
この 『ラインの黄金』 での特に印象的は舞台は、豊饒と愛の女神「フライア」が羽織っていた白い絹状のショールをローゲが奪い、そのショールをローゲ自身にまとわらせ歌唱する場面。
この場面は「アルベリヒ」が「愛」を捨てて「黄金」をラインの乙女たちから奪った、その「いきさつ」を語る舞台だが、これが実に良かった。勿論、音楽も。
 白いショールと言えば、母なる大地の奥に住む・知恵の女神「エルダ」が登場する場面も実に良かった。白いショールを、ほぼ全身にまとい、「エルダ」が「ヴォータン」を説得する場面の神秘的な雰囲気の良さ。まさにワグナー的陶酔感を味わえる。
 しかし、やはり極めつきは、この『ラインの黄金』の最後の場面だ。
舞台の遠くからラインの三人の乙女たちの透明な合唱が聞こえるなか、ヴァルハラ城へと向かう神々に背を向け、ローゲだけが不思議な微笑をたたえながら舞台のカーテンを引いていき舞台を終わらせる。
この最後の箇所こそ、ワグナーの音楽特有の媚薬的な陶酔感をひたることができる。シビレルとはこのような体験を言うのだろう。

私はこの 『ラインの黄金』 を大いに気に入り録画したのだが、あの頃は私はベータ機器で録画していたので、結局その録画を、その後観ることはできなかった。それまで無念の思いを続けていたのだが、何年か前、パトリス・ショロー版の 『ラインの黄金』 のDVDで発売されたので、すぐ購入したのだった。
勿論、すぐ観た。またまたシビレタものだった。
おお、ハインツ・ツェドニクよ!!

大変嬉しい再会だった。

2015年6月7日日曜日

映画『イレイザーヘッド』と青春の特権

人生の換え難き時期が青春期だとするならば、その時期でなけれは制作不能の思われる映画の典型として私は此の映画を挙げる。

若きデヴィッド・リンチが5年の歳月をかけて、自身が監督・脚本・美術・編集をして作りあげた1977年(米国公開)の映画だ。

この映画は、深夜の映画館で一部の若者たちに熱狂的に支持された、いわゆるミッド・ナイト・カルト映画の典型と言われたりする。当然なことだ。

***
青春とは何か? 

青春とは、自身の内部に在るモノを、とことん突き究める「一途さ」だと私は思っている。

其の「一途さ」は換言すれば「自己への盲信」だが、その「盲信」こそ青春の特権だと私は思う。

人は歳を重ねるにつれ、人世のアカ(良く言えば知恵)が付着していき、青春の持つ、そのような「一途さなり自己への盲信」を失っていく。いわゆる「まるくなる」のだ。

では此の映画の「一途さ」とは何か?

それはデヴッド・リンチの頭の中に在るイメージを徹底的に追及し其れを映像としてイメージ化する、そのような行為の「一途さ」だと私は思う。

だから此の映画には商業的な成功や、更に観客の存在すら一切眼中になく、自身の持つ内的イメージの徹底した映像表現の追及、それしか存在しないように思える。その徹底ぶりは痛快ですらある。

此の映画は、デヴッド・リンチによる、デヴッド・リンチためだけの、デヴッド・リンチの動く絵画集であり、それ以外の何物でもない。

このように徹底した自己満足による究明を行う・・・それこそ青春の特権と言えるのではないか。

https://www.youtube.com/watch?v=dU7OqGCIcak

***
但し還暦過ぎて、此の映画をご覧になっていない方は、ご覧にならない(←タイプミスではない)、ご覧にならないことを勧める。 私が以下の感想をもつようになったのは此の映画を数回観た後の感想だから。

2015年6月5日金曜日

『鮎宿で薩摩弁を問い返し』

『あゆやどで さつまなまりを といかえし』
***
もう20年以上も前のことだがNECのPC-VANの或るSIG (此のサイトのコミュニティのようなものだが) で、郡上八幡が話題に上がった。
此のSIGには5,6名の常連がいた。私も其の一人だったが、その常連の一人に、確か「たねり」というHNだと記憶しているが、少しクセのある人物がいた。
皆が「白」と言えば、「黒」と云わないまでも、その「白」にイチャモンをつける一言居士であった。彼の日頃の発言からして、およそ風流とは無縁な『乾いた』人物に見えたものだ。
郡上八幡の郡上節の『かわさき』を遠くで聞くともなく聞いているのは良いものだ、との私の発言がキッカケで郡上八幡の話題で盛り上がったものだった。
そのとき、件の人物が、ふと自作の句を披露した。それが掲題の俳句であった。
それを見たとき私は良い句だなと思った。しかし、強いて其のことは発言しなかった。他の常連たちも何の発言もなかった。結局、彼の披露した俳句は無視される形で話題は続いた。
その無視は、彼の日頃の一言居士振りの結果だったのだろう。

俳句の素人である私は其の句の客観的な評価は出来ない。しかし盆踊りの盛夏の季節になると郡上八幡の『かわさき』の哀調と共に彼の句を常に思い出す。

2015年6月3日水曜日

『無言歌集』と、お袋の味

私はメンデルスゾーンの『無言歌集』のCDをもっている。

大きな声では言えないが此れは、昔、図書館から借りてダビングしたものだ。
このCDの原盤?は、図書館の音楽教材の棚に並んでいたものだった。つまり、ピアノ演奏の初心者向けの教材らしいCDだった。

今更言うまでもなく私は音楽の楽譜も読めないし、如何なる楽器も演奏できない、全くのスブの素人である。しかし幸いなことに聴覚は人並みにあるから音楽を聴くことはできる。

***

そのようなズブの素人の私でさえ、このCDを聴くとき常に感ずるのは、いかにも楽譜どおりに弾いています、という『几帳面さ』だ。それはそうだろう、教材なんだから。

メンデルスゾーンの『無言歌集』は私は此のCDでしか聴いたことがない。いや一度だけ何とか言う演奏家のものを聴いたことがあるが其れは後述する。

***

『お袋の味』という言い方がある。

例えば、結婚後、亭主が嫁さんの作った味噌汁に何か馴染めず、お袋のモノのほうが旨いとフト漏らして、嫁さんから睨(にら)まれる、という具合に。

私における、メンデルスゾーンの『無言歌集』は、まさに『お袋の味』に今やなっていて、この『几帳面な』演奏でなければ、何かモノ足りないものを感ずるようになってしまった。

***

いつだったか、テレビで、何とかという著名な演奏家の演奏によるメンデルスゾーンの『無言歌集』を聴いたことがあった。私は其のとき、或るイヤラシサを感じたのだった。

音楽の演奏というものは、演奏者の解釈が必須らしい。楽譜どおりに弾くのは初心者だけであって、プロではない・・・というのが此の世界の常識のようだ。

私が感じたイヤラシサは、そのプロの『解釈』にあったのは明らかだった。

つまり、その『解釈』は、『お袋の味』ではない故に、或る不快さを私は感じたのだった。 勿論、これは私の主観に過ぎない。

***

人は案外、自身に気づかぬとも、この『お袋の味』というモノに、意識下でも無意識下でも、影響を受けているようだ。『三つ子の魂百まで』という格言もある。

あるいは少し大げさに言えば、一種の『刷り込み』現象と言えるかも知れない。

***

余談だが、メンデルスゾーンの『無言歌集』で私が好きな曲は7番目の曲だ。勿論、『几帳面な』演奏での。

2015年5月15日金曜日

二十憶光年の孤独

どういうわけか私は『二十憶光年の孤独』という言葉を最近しきりに想う。

私の頭というか心というか胸のあたりというか、ともかく此の言葉が私のうちに淋しく去来するのだ。

この言葉が谷川俊太郎の詩の題名であることは私は以前より知っていが、その詩そのものは何も知らなかった。

しかし、この言葉が、最近、或る悲しい色彩をもって私のなかに切実に去来する。

***

「まっちゃん」という人が先日、乳がんで亡くなったことを家内から知らされた。

この人は家内の遠縁の人で私は逢ったこともなければ声も聞いたこともない人だった。しかし此の人が必ずしも幸福円満な境遇にはいなかった、ということは家内から以前より聞いてはいた。なにか複雑な事情があって此の人は上京し、裁縫で、一人、身を立てていたようだ。

この人が裁縫学校に入る際、保証人が必要だったらしく、それを頼む近縁の人が見当たらないので、断われる不安をいだきながら都内の家内の実家に頼ってきたとのこと。

家内はその頃実家の家事をしていたのだが、温かいお茶一杯を此の人にもてなしたのだろう。それが此の人には大変、嬉しかったらしく、その後、なにかにつけて誰彼に其れをもらしていたようだ。

この話は実は私が家内と結婚する前のことだが、私共が現在地に引っ越してから何年か後に、この人から毎年、夏、『ほうずき』が私の家に届くようになった。

この人は『ほうずき市』の日、浅草寺に詣で、私共夫妻の健康を祈願していたという。

『暖かいお茶一杯』が余程此の人を慰めていたのだろう。

送られてくる『ほうずき』を私は見ながら、随分、「まっちゃん」という人は律儀な人だと思ったものだ。

そして『情けは人のためならず・・・』という言葉を思い出しながら、『回り回っていく情け』は「まっちゃん」にも回っていたに違いないと今更ながら私は思う。

「まっちゃん」は乳がんの手術を拒否し続けたという。そして天命を全うした。

私には知らない人ではあったけれど、この人の死は、やはり私には決して浅くはない痛みを残している。

「まっちゃん」の人生は、やはり、「二十億光年の孤独」という言葉が似合うような気が私はする。

この詩をネットで調べてみると下記のような詩だった。

この詩の意味するところが何であれ、「まっちゃん」のみならず、「いきもの」全ての生や死の孤独は、「二十億光年の孤独」という比喩が私には何かぴったりとするような気がする。

------------------

二十億光年の孤独   谷川俊太郎

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする

火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ

万有引力とは
ひき合う孤独の力である
 
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
 
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
 
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

2015年5月10日日曜日

葛城文子のこと

『戸田家の兄妹』(小津安二郎監督)という映画がある。1941年(昭和16年)公開のものだが、この映画に葛城文子が、戸田家の兄(佐分利信)、妹(高峰三枝子)の母親役として出演している。

Wikiwで調べると葛城文子は、1871年に生まれ、1945年に亡くなっている。
この映画に出演したときは70歳であった。彼女の逝去は其の4年後になる。

私は掲題の映画の葛城恵子に惹かれる。なぜだろうか?

***

私は世評高い『東京物語』は好かない。説教臭いからだ。

或る映画マニアが以下のようなことをネットに書いていた。いわく、
『東京物語の、あの長男、長女を見て我慢がならんぞ、と思った人は戸田家の兄妹を見てスッキリしてください』と。上手いコメントだと私は大いに愉快になった。

***

『戸田家の兄妹』は、私が子供の頃観た映画『鞍馬天狗』等、あるいは少年雑誌に掲載されていた懐かしき漫画同様に、単純明快な勧善懲悪の映画である。

そこには東京物語の人生の晦渋さはなく、勧善懲悪の明快がある。私が此の映画を好む所以は其処にある。

***

私が葛城文子に惹かれる理由の一つは其のあたりにある。

即ち、子供たちに「たらい回し」される母親の寂寞さは、東山千栄子より葛城文子は遥かに少ないと言えるし、また息子たる佐分利信の大活躍によって葛城文子はハッピーエンドとなる。

私が葛城文子に惹かれるのは、彼女に約束された老後の幸せ故なのだ。

***

私が葛城文子に惹かれる理由は其れだけではない。上に書いたのは映画の話だが、私の現実の此の世における母方の「おばぁちゃん」を、私は葛城文子に重ねて見てしまうのだ。我が人生を顧みて、私が無垢に懐いたのは此の「おばぁちゃん」だった。

***
人は大人になるにつれて此の無垢さを失っていく。

この無垢さが如何に貴重なものであったか、私は馬齢を重ねるうちに痛切に感ずるにようになっている。

私の幼き日の此の「おばぁちゃん」が『戸田家の兄妹』の葛城文子に他ならないのだ。

ps. 『戸田家の兄妹』の佐分利信は、私の最も好きな映画の役どころの一つだ。

2015年4月16日木曜日

LET IT BE. について

作品社から各ジャンルの名随筆集が発行されている。別巻を含めると140巻ほどある。その各巻は其のジャンルに通じた人が、古今東西の名随筆と思われる文章を数十ほど選んだアンソロジーで、一篇が数頁程度だから短篇ものが好きな私にとっては格好の本と言える。

***

此のアンソロジーの『名言』編は、外山滋比古が選んだ36篇の随筆から構成されている。その随筆が『名』随筆であるとは勿論、外山氏が判断したものだが、ともかく、いろいろな分野の人の短いエッセーが集められている。其の人が『名言』だとしている言葉についての感想なり解説がコンパクトに語られているのだ。それが結構、面白い。

***

私は未だ全てを読んだわけではないが、面白いと思ったエッセーを一つ挙げておこう。

・『レット・イット・ビー ---ビートルズ』(筆者:森本哲郎)

森本氏は、いわゆるビートルズ世代ではないが、この有名なビートルズの歌のもつ時代的背景を、とても分かり易く解説している。この歌は、1960~1970年代の或る種の時代的閉塞に対するアンチテーゼであった、というのである。

私も森本氏同様、いわゆるビートルズ世代ではなかったが、この歌およびビートルズという存在が、1970年代頃の閉塞感に対する一種のブレイクスルーであった、即ち、カウンターカルチャー(対抗文化)の先駆けであったということ。

なるほど、そうだったんだな、と此のエッセーを読んで私も素直に同感できた。

LET IT BE.

つまり、あるがままにしておこう。なにも無理に何か代えようとせず、そのままでいいじぁないか・・・

一見、無作為に見える此の行為が、当時の時代風潮に対する痛烈な意義申し立てであったということを、このエッセーで優しく語りかけている。

***

この異議申し立ては、今日、現在只今にでも決して色褪(あ)せてはいない。
むしろ、当時よりも、より強い異議申し立てになっているのではないか、と私は思う。

***

出典:『ことばへの旅 第二集』(ダイヤモンド社)

https://www.youtube.com/watch?v=dCHfLqvqqyI

2015年3月31日火曜日

立花隆はオッチョコチョイ?

先日、NHK・BSで『臨死体験』についてのドキュメンタリーが放送された。

この件に関して以下のブログ、まぁ、面白いと言えば面白いから、無断でリンクしてみよう。

http://www.poc39.com/archives/2930

さて、立花隆がオッチョコチョイかどうか私は知らないが、このブログで、いきなり、こう書かれている。引用しよう。
----------------------------------------------

『私』という存在は死んだらどうなるのか、死ぬとき『私』は何を見るのだろうか――。

この問いの立て方からして、おっちょこちょいの相変わらずぶりがわかります。
その相変わらずぶりを説明する前に、先に上の問いへの答えを書いておきます。

立花さんが20年余り足踏みしているあいだに、私は既に答えを出してしまいました。
次のとおりです

『私』という存在は死んだらどうなるのか?

答え:『私』という存在は死にません。

(以下、略)
---------------------------------------------------
このブログの書き手は、しょぱなから『「私」という存在は死にません。』と断言してしまっている。

この『・・・・』の命題が真であることの保障がなければ、このブログでの以下の文章は私には説得力が全くない。

このブログの筆者には当然の命題であるのか、あるいは其の真であることを、いちいち書くのは面倒なのか、いずれかであろうが、いずれにせよ、最も肝心なコトが抜け落ちているという意味で、私には此の筆者もオッチョコチョイと言わざるを得ない。

2015年3月26日木曜日

『海ゆかば』というレクイエム

最近、先の敗戦に関する本を続けて読んだせいか、あの時代を私なりに思うことしきりである。

そして下記の歌には正直、私は或る感銘をうける。

その感銘は、此の歌のもつ荘厳さ・厳粛さが、混声合唱での女性達の声で毅然とした雄雄しさをもって歌いあげられているからである。

( 但し、YouTubeでuploadされている此の歌の中で、私が感銘を受けるのは下記の混声合唱だけである。その他の歌には少しも感銘は受けない。)

https://www.youtube.com/watch?v=jyYSRPuKJnU

***

この歌を厭う人も多いと思う。それも私は理解できるつもりではある。

今や、あの敗戦後から70年過ぎたのだが、先の戦争傷跡の癒えぬ人も未だ多いだろうし、心中においてトラウマを未だ負っている人も多いだろう、と私は思う。

しかし、時代という時の流れは、どうしようもなく流れていく。あの時代が日本史において特殊な時代だったにせよ、いずれは人々は忘れていくに違いない。

これは良い悪いの問題では必ずしもなく、人間の歴史とは、そういうものだという、ある運命的なモノとして私は捉えたいと思う。

『もう戦争は嫌だ』という真摯な声も私は大切だとは思う。

と同時に、あの時代に生きた全ての人々にとって、私は此の歌は、レクイエムなのだ、とも思いたい。ならばこそ、この混声合唱での女性たちの声が私には厳粛に且つ哀切をもって私の胸をうつのだ。

2015年3月23日月曜日

原節子と高峰秀子

私は佐藤忠男の映画評論が好きである。
この人の著作に『映画俳優』(晶文社)という本があって、ここに書かれている原節子と高峰秀子についての人物評論が、とても面白い。

彼女たちの映画を観ているよりも、佐藤忠男の軽快な文章によって、あぶりだされてくる彼女たちの生きざまを読んでいるほうが面白い。特に、高峰秀子に関する佐藤忠男の論評は秀逸である。

***

原節子と高峰秀子と言えば、ある年代以上の人には知らない人はいない稀有の大女優だが、この本によると、彼女たちには或る共通点がある。それは、彼女たちは好きで女優になったのでなく、たまたま女優になってしまったという点である。

其のいきさつは此の本で活写されているから興味ある人は読んでみるといい。

彼女たちにとって、映画俳優という職業は、どうも居心地が悪かったらしい。

世間では原節子と高峰秀子と言えば、傍にも近付けぬ大御所に見えるのだが、実は当人達は自身の在り方がしっくりしなかったらしい。

***

彼女たちが活躍した時代は、まさに映画の最盛期であり、そこで数々の傑作群を彼女たちは共に残してきたのだが、そんな業績には何の未練のないかの如く、二人とも映画界を、さっさと去ってしまった。

よそ目には、その引き際の良さに敬服したくなるのだが、彼女たちにとってみれば、かってから憧れていた己自身の居場所に、やっと行きついた、というのが実情らしい。

***

その彼女たちの生きざまはお見事というほかない。その見事さは、彼女たちが出演した映画の傑作群に裏打ちされていればこそだが、私を含めて並みの人間には、とうていできない人生の『至芸』と言えるだろう。

特に高峰秀子には『わたしの渡世日記』という有名な随筆があって、この人はタダモノではないことが分かる。私は此の随筆を昔読んだことがあるが再読しようと思っている。

***
原節子の佐藤忠男の分析にも私は敬服するが、この分析を一読して、原節子の映画をみたら、おそらく此の女優さんが全く別人に見えるだろうと私は思う。

別人という意味は『この女優さんが如何に稀有な役者さんであったか』という意味である。

2015年3月21日土曜日

Windowsの余計なお世話

私はPC自体は東芝・パソヒア時代から使っているが、しかし現在に至るまで、PC自体の知識は一向に身につかない。
Windowsの使い方も在職中に仕方なしに職場の『女の子』に手ほどきを受けたのだった。Word,Excelの実技は、職場の「おじさん達」より遥かに彼女たちは熟知していた。これらのソフトは職場の仕事には必須なものだが、先ずWindows自体を知らなければ話にならなかったのが、我が在職中の後半時代の実情であった。もう30年以上も前の話だが。

その際、職場の『女の子たち』は単なる「お茶出し」を脱していて、私たち「おじさん達」のPCの先生だったのである。おそらく、このサイトで果敢に書き込みしている、女性諸君の多くは、かっては、そのような『先生』であったに違いない。少なくともPCの諸々のソフトウエアの使い方に関する限り、男女平等どころか『女尊男卑』であるのが当時の実情であった。果たして現今もそうであろうか? 

PCが職場において、女性の地位向上を果たしたのは歴史的事実だろう。
***
私の現在のPCのOSは、Windows 8 である。VAIOを使っているが、此のWin 8 が実におせっかいなMSGを使用中に勝手に表示するのだ。即ち、Win 8.1への勧誘MSGが、突然PC画面領域の広い範囲に無遠慮にシャシャリ出るのである。Win 8 から Win 8.1への移行は無料だが、私はWin 8.1では動作が保障しかねるソフトを使用しており、Win 8 で必要充分なのだ。
ところが、当方から見れば、マイクロソフトは強引にWin 8.1にさせようとしているように見える。というのは、知らないうちに、Win 8.1 がインストールされていて、『再起動』の催促MSGがシツコク表示されるのだ。そこで、うっかり再起動してしまうと、Win 自体が立ち上がらなくなる事態が発生する。他のメーカーは知らないが、VAIOはWin 8.1への移行には或る準備が必要なのだ。それを無視して再起動させてしまったらWindows自体が起動しなくなる。

ってな事態に私は否応なく、させられた。そこで、すったもんだした挙句に、私設のPCサポートの人に自宅に来てもらい此の不測な事態を治めたのだった。まかり間違えばハードディスクの物理的破損も招きかねなかった。この事態の要因は、Winsows Update の安易な実施にあったのだが、昨年だったか、Windows Updata の更新ファイル自体の不良に依るトラブルが発生した。その際は私は比較的軽傷で済んだのだが、どうもWindows は個人的に不信がぬぐえない。

ということで、今後はWindows Update は行わないつもりでいる。勿論、セキュリティの問題はあるのだが其れは専用ソフトに任せる。セキュリィティ上、不十分ではあろうが、Win に振り回されるのは、もう私は懲りた。

2015年3月15日日曜日

キューバ危機で核攻撃命令が出た!!


1962年のキューバ危機をリアルタイムで体験している人は今や少なくなっているだろう。私は其の時、大学受験の浪人をしていたので、よく覚えている。

『蛍雪時代』の投稿欄に、「こんな時に受験勉強していたって、しようがない」という発言があったことも鮮明に覚えている。全く其のとおりだと思ったからだ。

***

今朝の当地の新聞によると以下の趣旨の記事が掲載されていた。

『1962年10月28日の未明、米軍の沖縄部隊にソ連等への核攻撃命令が出された。しかし当該基地の現場判断で発射が回避された。』

もし此れが事実だとし、実際に核ミサイルが発射されていたならば、現在の日本のみならず地球は、どうなっているだろうか。

この危機が奇跡的に回避された後、『核の冬』という言葉が流行ったものだ。

***

10年程前だったか、NHKスペシャルで『キューバ危機・10月の悪夢』というドキュメンタリーが放送された。私はこの番組を録画しており、時折、再見している。

このドキュメンタリーによると、この危機は全くの偶然の積み重ねによって奇跡的に回避されたとされており、いわゆるケネディ神話はもろくも崩れていることを示している。

***

上記した新聞の記事に似たようなカタストロフィー回避の実態は少なからず有るに違いない。ただ我々に知らされていないだけかも知れない。

もろもろのカタストロフィーの奇跡的回避の事実は歴史の裏話として多く隠れているとみたほうが真実だろうと私には思える。恐らく現在及び将来もそうだろう。

2015年2月26日木曜日

猫と『銀河鉄道の夜』

昔、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の主要登場者が猫で擬人化されたアニメーション映画を私は観たことがある。ジョバンニとカンパネルラも猫に擬人化されて登場したのであった。
私はアニメーション映画は数本しか観ていないが、上記したものは今でも印象深く記憶している。何年頃の作品だったかをネットで調べてみたら、1985年だと分かった。
スタッフは下記だった。
監督:杉井ギサブロー
原案:ますむらひろし
脚本:別役実
音楽:細野晴臣
***
宮沢賢治の作品の中で此の童話が私は最も好きだが、この童話に底流している或る哀しさや孤独性は猫というキャラクターによって、より昇華されているように私には思われた。
猫という生きものは、飼ったことのある人なら分かるだろうが、人間( 飼い主 )と一定の距離をおく孤独性を内に秘めている。また、それゆえの或る種の翳(かげ)も秘めている。その点、犬という生きものとは全くと言ってよいほど異なる。
もし此のアニメが犬に擬人化されていたならば、此の童話から受ける私の感想は・・・以下に書くが・・・全く別なモノとなっていただろう。
***
この童話において銀河鉄道とは此岸から彼岸へと向かう鉄道列車だと私は想像する。
その列車に乗る人たちは冥界へと旅立つ人々に私には見えるのだ。
この童話に底流しているものは先に書いたように『哀しさ』と『孤独』なのだが、それらは一言をもって換言すれば『悲哀』だとも言える。
思えば、人の感情において『悲哀』ほど微妙にして陰翳深いものはない。
オスカー・ワイルドは『獄中記』において悲哀について以下のように書いている。
『悲哀とは、愛のほかの如何なる手が触れても血を噴き出す傷痕である。否、愛の手が触れる時すらも、痛苦でこそなけれ血が滲むものである。(阿部知二訳)
 冥界へと旅立つ人々は自身の現生を顧みて多かれ少なかれ、其のような悲哀を感じているはずである。
やはりカンパネルラも彼なりに、そうであったろうし、ジョバンニは此岸に戻るにしても彼が再び銀河鉄道の旅人になるときには、そうであるのだろう。
いずれにしても此の童話の静謐さは、このような悲哀にある。
そして、我々、いきものは全て、いつかは此の銀河鉄道の乗客となる。
***
私は夜空を見上げたとき、遠い遠い銀河の向こうに一つの列車が走りすぎていく小さな姿を見つけることができる。


2015年2月9日月曜日

縄文語による「姫神」の音楽

ネットで以下の記事を見つけた。
この記事によると姫神が縄文語で歌っているそうだ。
そこでYou Tube を検索したらあった。
(因みに私は姫神のファン)
以下が『神々の詩』(姫神)
不思議なことに、此の姫神での縄文語を聴いているとヤノマミ族の言葉に似ている感じがしてきる。それは、こちらの錯覚だろうが、その錯覚は恐らく上の記事の人が書いているように、『その響きは素朴』に依るものだろう。

2015年2月8日日曜日

ヤノマミ~奥アマゾン 原初の森に生きる~

掲題のドキュメンタリーは数年前だったか、NHKスペシャルとして放送された。
その際、私は其れを観たのだが、或る機会により劇場版DVDを観ることとなった。

今回、再見しても強烈な印象を受けた。

特に印象的だったのは、ヤノマミの少女が乳児の子猿に自分の唾液を与える場面だった。親が捕獲された此の子猿に自分の匂いを覚えさせるのだと彼女は言った。

このような行為は他の動物にも見られるもので決して特異な行為ではないが、しかし此のときの少女の笑みは明らかに『生きもの』のもつ『やさしさ』に満ちていて何とも美しかった。

この少女は処女であったが、その後、妊娠し初産をする様子も記録されていた。深い森翳の中で命を生む。へその緒がついた状態(=精霊)のまま返すか、ヤノマミ(=人間)の子供として育てるかの選択を其の少女は迫られる。それがヤノマミ族の掟なのだ。

精霊のまま返すときは、へその緒がついた状態でバナナの葉にくるみ、白アリのアリ塚に放り込む。その後、白アリが食べつくすのを見計らい、そのアリ塚を焼いて精霊になったことを神に報告する。 また、寿命や病気などで民族が亡くなった場合も精霊に戻すため、同じことが行われる。
------------------------------------------------
ヤノマミ族のシャーマンの言葉:
「ジャガー、ワニ、バク、サル、・・・天は精霊の家だ 人間も死ねば天に上り、精霊になる。地上の死は死ではない。魂は死なず精霊となる。精霊もやがて死ぬ 最後に男はハエやアリとなって地上に戻り、死骸に群がり肉を運ぶ。女は最後にノミやダニとなる。
地上で生き、天で生き、虫となって消える。
ナプも知らねばならない 誰もが同じ定めを生きる。
(ナプとはヤマノミ以下の存在のこと」
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思えば、ヤノマミ族の死生観は、現在を生きる人たち( 少なくとも私 )の死生観とは随分異なる。好むと好まざるとに関らず、私たちは近代文明の「洗礼」を受けている。

率直に言って其の功罪は恐らく功の部分が大きいと言わざるを得ないと私は思う。 しかし、罪の部分は? 其れは決して少ないと言えないとも思う。

それは『死』について最も顕著に露呈されると私は思う。そのことを端的に象徴的に表現すれば以下のように言える、即ち、

少なくともヤノマミ族たちには、孤立死も孤独死もなかっただろう。
なぜなら彼らには、人間というより、生きものにとって最も大事な『絆(きずな)』があったに相違ないからだ。

*************************
ヤノマミ族について。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%8E%E3%83%9E%E3%83%9F%E6%97%8F

劇場版DVDについて。↓
http://columbia.jp/yanomami/

参考記事↓
http://matome.naver.jp/odai/2138698204108838301

2015年1月27日火曜日

三島由紀夫という人

先日、NHK・TVで、この人についての番組を放送していたが、その番組みていて、一体、此の人は日本をどうしたいのか私は訳が分からなかった。

天皇がどうのこうと言ってたけど、さっぱし何のことやら私には分からなかった。

ボディビルなんかして・・・石原慎太郎によると、これはフェイクな肉体化なんだそうだが。

そういえば、石原慎太郎のコメントは此の番組にはなかったが、彼に発言させたかったな。NHKでは無理か。

石原慎太郎の三島由紀夫論のほうが私には正鵠をえていると思うんだが。

『金閣寺』など、ちっとも私も面白くないし。

この番組で或る人は三島氏は『大空虚』なんだそうで、それも訳がわからなかった。

要するに、三島って人はピエロだったんだろう。

この番組に出た他の或る人は、この人は世間にアカンベェーをしていたんだと言っていたが、そこらへんが真相かも知れない。

2015年1月17日土曜日

科学者の教養のこと

私は、いわゆる職人気質という気質が好きだ。当今風に言えばエンジニア気質とも言えるだろう。

その気質は、己の技に己が納得するまで拘泥し続ける。他人の評価なども気にしない自己満足への追及者で、一種のオタクと言ってもよい。私はそういう人が好きだ。

こういう人は、己の技の対象以外には目もくれない。「人間性」と言った空疎になりがちなモノにも一切関心はない。ただ己の技のみに徹底的にこだわる。

では科学者とはどういう人たちか? 上に書いた職人(技能者orエンジニアorオタク)とは、ちょっと違うように私は思っている。

科学者なる人たちは、単に職人であっては困るな、と私は思っている。

科学者の定義を此処でキチントしなければ話が曖昧になるが、ここでは、社会的に影響を及ぼすような仕事をしている理工系の人たちとでもしておこう。

このような人たちは、その仕事の結果が社会に影響を及ぼすわけだから、自己満足なオタクだけであっては、困ると私は思っている。

つまり自己の技のみ拘泥しているだけでは困る。何故なら其の技が他人(即ち社会)に影響を与えるのだから。

このような理工系の人たちには、彼等の「技」以外のモノにも理解してもらわなければならない。そのようなモノが、教養と呼ばれるべきモノだ。では、そのような教養とは何か?

要するに其のような教養とは、『人の悲しみや喜びや苦悩とも呼ばれる人間としての感情』を理解できる能力をもっていることだと私は思う。

職人は結果として其のような教養をもつことは必ずしも必須ではないが、科学者には必須な能力だ。

科学者に必須なことは、技、知識、業績等よりも何よりも、人の心情を理解する能力である、と私は思っている。

2015年1月12日月曜日

櫛巻きお藤さんの唄への懐かしさ

私の大好き映画に『丹下作善余話・百万両の壺』(1935年、山中貞夫)がある。

この映画で、矢場の櫛巻お藤姉さんが長火鉢を前に三味線を爪弾きながら唄う一連の場面が、私はとりわけ好きである。

https://www.youtube.com/watch?v=dzN6UGPKJo8

此の映画の丹下作善こと大河内伝次郎もさることながら、お藤さんこと新橋喜代三姉さんも私は大ファンで、江戸下町の「小股の切れ上がった」姉さんとは、こういう人を言うのだろう。
 
山本周五郎の小説にも、よく登場する人物像であって、私の最も好む人間のタイプであるが、とても懐かしい気がする。

私は現在もっぱら漫画・サザエさんを図書館から借りて読んでいる、というより見ているのだが、此の映画も漫画の世界であって、上記した私の郷愁は、我が人生にとって最も幸福だった漫画乱読時代への郷愁と言える。

2015年1月11日日曜日

日本人横綱なんていらない

というか、横綱に人種など、どうでもよい。

私はスポーツには関心がない人間だが、大相撲のテレビ中継は暇にまかせて毎場所みている。

今日から初場所が始まるが、その関心の一つは白鵬の優勝回数が大鵬の其れを超えるかどうかだろう。遅かれ早かれ超えることは確実で、我々は白鵬という天才をリアルタイルで見る幸運な時代に生きている。ちょうど将棋の天才・羽生善治をリアルタイムでみることができるように。

天才たちをリアルタイムでみることができるということは、同時代人にとって幸運なことなのだ。私は残念ながら天才・双葉山をリアルタイムでみることはできなかった。

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相撲というモノは日本古来の伝統を受け継いでいることは言うまでもない。そういう意味では能・歌舞伎と同様に伝統芸能と何ら変わらない。

だからといって、その伝統芸能の担い手が日本人でなければならない理由は、少なくとも私には見つけることができない。人種は少なくとも私には其の理由にはならない。

今や大相撲はモンゴルの人たちが大活躍している。結構なことではないか。

一部には「日本人であること」にこだわる人も少なからずいるようだ。
モンゴル人他ガイジン(嫌な言葉だ)が関取の多数を占めるが故に、なにかと嘆く。

私はその嘆きを耳にするとき或る不愉快さを常に感ずる。その不愉快とは?
要するに、嘆く人間たちの度量の狭さだ。人種差別とまでもは言わないが、その萌芽を私は感じてしまう。

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いまさら言うまでもなく、大相撲は畢竟勝負の世界である。強い者が勝ち弱い者は負ける。そこには人種の壁は基本的にない。

私自身の好みから言えば、日本人の力士達より外国の力士達に応援したいし、している。彼らは始めから、いろいろなハンディーを負っているからだ。一種の判官贔屓だ。

日本人力士達よ、悔しかったら、勝て!! コトは単純である。

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さて、もしかしたら私は此の大相撲において「歴史」を、この目で目撃できるできるかも知れない。それは白鵬が双葉山を超える一瞬だ。そのスリリングな光景には人種の差など「チイセー、チイセー」。

2015年1月8日木曜日

『磯野家の謎』(東京サザエさん学会)

掲題の本は平成4年に出版されベストセラーとなった。

私は先日、サザエさんが登場する詩『花冷え』について書いたが、時代的に推定すると此の詩の作者は掲題の本に触発されたかもしれない。ということに私は思いついた。

そうすると此の詩の「個性」も半減するのだが、それにしても依然として私は此の詩の全容を知りたいのだ。

その念願が達成する可能性は限りなくゼロに近いが、先日此の日記を書いたので、私の頭の隅に隠れている此の詩の記憶を丹念に堀起こしてみた。

この詩の作者は女性であることは確かだから、此の詩の主題は、『マスオの磯野家における婿という立場が如何なるモノであったか』という点にあったらしい、ということにウッスラと気づいた。

『嫁対姑』は永遠の「問題」だが、『婿対姑』も永遠の「問題」だと言える。この種の「問題」は、特に女性たちには敏感故に女性たる作者は、あえて此の「問題」をバロディ化したのだろう。

この詩の作者は、一見、桜花の盛りのように温かそうな磯野家における入り婿マスオの真情を探りに訪れたらしい。

その結果、マスオ氏は必ずしも磯野家において居心地が良いものではないと作者は直観したらしい。

この詩のタイトルが『花冷え』であることは其れを暗示させている。

しかし、この点については『磯野家の謎』では解いていない。

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詩の作者である「私」が磯野家を訪れたときは、サザエさんは不在であったが、「私」が磯野家を去り帰宅する途中でサザエさんが追いかけてきて、夕陽を背に「また、いらしてくだい」と「私」に呼びかけるサザエさんの姿は、やはり磯野家の、象徴としての櫻花であり春であると「私」は感じたに違いない。

たとえマスオ氏が「花冷え」であったとしても。

2015年1月5日月曜日

サザエさんと『花冷え』

半世紀程前、NECが運営するパソコン通信・PC-VAN・・・懐かしい言葉だ・・・があった。その中のサービスに電子掲示板があった。そして此のサイトで言うところのコミュニィティが種々あって、「BOOKS」も其の一つであった。たぶん、このサイトでもご存知な方も多いだろう。

当時、私は此の「BOOKS」に盛んに書き込みをしていたものだが、その書き込みの常連にモリヤマというHNの方がおられた。察するに此の方は私よりも年配の方で、現在ご健在ならば90代であろうかと思う。

この方の書き込み記事の数は少なかったが、しかし其の記事には表に直接には表われない文芸関連の造詣の深さがチラチラと窺い知れたものだった。

この方は或る同人誌を主催されているということを後日私は知って、なるほどそうかと合点したものだった。

あるとき、なんのハズミだったか、この方が其の同人誌の会員の詩を紹介されたことがあった。確か女性の会員の方の詩の断片だったが、その詩を私は今でも忘れられない。
以下の内容の詩だった。
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「私」がサザエさん宅を訪問する。(なんの用事だったかは其の詩には書かれていなかったと記憶している) ところが生憎サザエさんは不在であったので「私」は帰宅するのだが、その途中、サザエさんが追いかけてきて、夕日を背景に、「また、いらしてください」と私に呼びかける・・・
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そんな内容の詩だった。私は此の詩を大変興味深く感じたものだった。

サザエさんという、よく知られた架空の人物を登場させたところも面白く、或る年代の人々にとっては、アニメではない漫画サザエさんは何らかの思い入れがあるはずであり・・・それは私の場合は郷愁であるのだが・・・、それが巧みに詩という文芸に取り組まれていることに私は斬新さを感じたものだ。この詩のタイトルは私の記憶違いでなければ『花冷え』だった。

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私がPC-VANから離れた後でも、この詩を忘れることはなかった。もう一度此の詩の全容を知りたくて、何度もネットで検索したものだったが発見できなかった。その頃はモリヤマさんとの交流も途絶えていたからだ。

思えば現代詩人・山本陽子の存在も、モリヤマさんから教えられたものだった。

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先に書いたように、アニメではない漫画・サザエさんには、私の場合、或る郷愁がある。サザエさんには映画『男はつらいよ』がそうであるように、期せずして、時代の流れというものが背景に写しとられている。各人の、其の人だけしかない個人史が、『サザエさん』なり『男はつらいよ』には刻みこまれているのだ。

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というわけで、私は我が町の図書館から漫画・サザエさんを借りることにした。全巻30冊程度あるのだが少しずつ見てみようと思っている。

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ところでモリヤマさんは現在健在だろうか・・・

2015年1月4日日曜日

10年後の日本国

『経済からみた30年後の日本はどうなるか』という趣旨の正月のTV定例番組(らしい)を放送していたのでみた。数名の其の道の識者たちが喧々諤々と議論していた。

当方は経済も全く無知であるから、彼らたちの説明を鵜呑みにせざるを得ないのだが、要するに、「このままの状態を無為無策で続ければ少なくも10年後には日本国は破綻する」という点では彼らの一致した見解だった。たぶん、これは正解だろう。

私は此のテの議論を聞いているとき、いつも思うのは・・・勿論、彼らも充分承知の上での議論だろうが・・・何も此の国を破綻させるのは経済のみではない。

素人の無責任な予想だが、此の国を破綻に導く最も確率の高いカタストロフィーは、経済云々よりもむしろ予想外の自然災害だろうと私は思っている。この超巨大自然災害の到来については、TV番組でも盛んに放送している。

例えば東南海大地震の発生は今後30年後60~70%だという。確率というものは、或る意味当てにはならないもので、今後30年は今後10年かも知れないし、明日かも知れない。この点については我々は数年前の東日本大地震で思い知らさせているではないか。

ともかく、このようなカタストロフィーの恐ろしさは、人間の其の予防対策は・・・勿論、関係者はそれなりの対策をしているのだろうが・・・実質的に恐らく無効に近い点にある。

だから、上に書いた正月番組の議論も、無意味とまでは言わないが、少なくとも私には、空疎に聞こえなくもないのだ。「世の中は地獄の上の花見、ならぬ議論かな」である。

では、我々はどうしたらよいのか。その問いに対する最も有効な答えは以下であろう。すなわち
「そのような巨大自然災害はない『かのように』生きる」ことだ。
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**年**月の光景が以下のような状態にならないとは誰も言えない。尤も此れは自然災害ではないが光景は似たようなモノになるだろう。
(注:食事中の人は見ないほうがよい)

https://www.youtube.com/watch?v=vO4Wtc2DOhY

2015年1月2日金曜日

三島由紀夫の切腹

昨年の暮れ、或るサイトでのポイントが1000になったというメールが届いた。使用期限切れになるというコメントがあり、1000円以下の商品が貰えると書いてあった。

その該当商品を調べると、別に欲しい物はなかったが、雑誌・文芸春秋(1月号)の電子版が貰えるそうなので、それを貰う・・・と言ってもPCで閲覧できるだけだが・・・ことにした。

当該雑誌の1月号は、戦後70年記念特大号と表紙にPRしてあって、高倉健の遺書等が掲載されている。読んだ人も多いだろう。

高倉健の遺書は、なかなか面白かった。
面白いと言えば語弊があるが、私は生前の高倉健という俳優さんには興味はなかったが、この遺書を読んで遅まきながら此の人に或るシンパシィを感じた。

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しかし、より興味深い記事は、『三島由紀自刃』という副タイトルが書かれた『介錯した男の後半生』であった。

例の三島由紀夫「切腹事件」は昭和45年だったが、このサイトの利用者でリアルタイムで知っている人も多いかもしれない。

私が今でも覚えていることは司馬遼太郎の此の「事件」に対するコメントだった。

司馬遼太郎は此の事件は政治的事件ではなく文化的事件だという趣旨のコメントをしていた。

確かに、そう言える「珍」事件であり、既に35年過ぎたが、政治史的意味は皆無だろう。意味を見出すとすれば其れは日本文化史においてだろうし、また三島由紀夫文学史においてだろう。

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この記事で私が興味深かったのは、介錯した男の後半生よりも、例の切腹現場の様子であった。割腹及び介錯の凄惨な現場記録は、背筋が寒くなるものがある。

三島の介錯は森田必勝がしたが、三島の首は三太刀を振るっても切断しなかったらしい。

事件後の解剖所見も此の記事に引用されているが、切腹なる行為は映画等で見るような「安易な」ものではないらしい。三島の切腹は「一人で死ぬ場合の切り方」なんだそうで、古式にのっとった所作ではなかったらしい。

正座の状態から切腹した体は前に落ちるか、後ろに反り返るかするらしい。

三島の場合は、あまりに深く真一文字に腹を切っているため、神経の極度の緊張から、はげしく後ろに反り返った可能性があるとのこと。故に介錯によって、一刀で「きれいに」首が切断しなかったということだろうか。

いずれにしても、切腹・介錯という現代からみれば野蛮な自殺行為は、必ずしも見栄えの良いものではなかったようだ。

尤も、人の死にかたは例えば交通事故のように、現代においては切腹よりも凄惨極まる場合があるだろうから、そういう意味では昔も今も変わらないと言えよう。

気の弱い小生は切腹など論外で、なんとか見栄えよくスッキリと逝きたいものだ。

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三島由紀夫の作品と言えば、私は数十年前、入院先の食堂に誰かが置き残していった『金閣寺』しか読んだことがない。三島由紀夫ファンの人には不愉快かも知れぬが、私には退屈な小説であった。好みは人それぞれだから仕方がない。