2015年8月30日日曜日

死とは雑念からの解放

『平家物語』に『鬼界が島』に追放された俊寛僧都の有名な話がある。

知る人ぞ知る悲話であるが、有王は都へ生還し俊寛の娘に会う。
その箇所を『平家物語』は以下のように簡潔に記述している。
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(前略)その後都へ上り、僧都の御女の忍んでおはしける所へ参つて、ありし様、初めより細々と語り申す。なかなか御文を御覧じてこそ御思ひはまさらせ給ひて候ひしか。硯も紙もなければ、御返事にも及ばず。思(おぼ)し召され候ひし御事、さながらむなしうやみ候ひにき。(後略)
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『思(おぼ)し召され候ひし御事、さながらむなしうやみ候ひにき』

この文章は含蓄のある言葉だ。

『平家物語の世界』(水原一著、NHK放送ライブラリー、昭和51年初版)では著者は此の言葉の意味を以下のように解説している。

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私たちは一瞬の休みもなく次から次へといろいろな事を思い続けております。
人一日一夜を経るに八億四千の思いあり、などと申しまして、とりとめもない事も、まともな事も、とにかくびっしりと思い続けている。

死ぬということは、その人間の中味ともいうべき念々の思いが一切絶え、雲散霧消してしまうことなんですね。鬼界が島で生を終えた俊寛。無限の思いを抱きながら、その一切が、「むなしうや」んでしまった、その空しさこそが「死」というものなのであります。(後略)
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名解説と言えるだろう。

2015年8月27日木曜日

能『鉄輪の女』の姿の怪異さ

『鬼の研究』(馬場あき子)に、能『鉄輪の女』の記載がある。(原典は『平家物語:剣の巻:鉄輪の女』) 以下に其の一部を引用する。

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嵯峨天皇の代の頃、ある公卿の女、あまりに妬み深く、貴船に七日籠り鬼になることを求めたところ、宇治の川瀬に潔斎して鬼となるよう至現があった。

女は喜んで、丈なす髪を五つに分け、五つの角に擬して結い上げ、顔には丹を塗り、鉄輪(かなわ)を戴き、その三つの脚には松明をともし、さらに松明に火をつけて口にくわえ、夜更けてのち都大路へ走り出して行った。

頭より松明の炎はふき流れ、眉太く鉄漿(かね)ぐろに、顔も赤く、身の赤いので、それはまさに鬼であったが、ついに宇治川に二十一間浸かり清まって、生きながらほんとうの鬼になったという。(後略)

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謡曲集の『鉄輪』では以下のように書かれている。

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身には赤き衣(きぬ)を截ち着、顔には丹(に)塗り、髪には鉄輪を戴き、三つの足に火を灯(とも)し、(中略)、気色(けしき)変じて今までは美女の形と見えつるに、緑の髪は空さまに、立つや黒雲の、雨降り風となるかみも、思ふ仲をば裂けられし、恨みの鬼となって、人に思ひ知らせん、憂き人に思ひ知らせん (後略)

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ここで、鉄輪とは五徳(ごとく)のことであるが、数十年前までに日常の生活に使われていた物で、鉄製の輪に三本の足をつけた器具で火の上に置き鍋などをのせていた。

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私が興味があるのは、この鬼になる女の怪異な姿である。

即ち、『丈なす黒髪を五つに分け、それを五つの角に擬し、鉄輪(五徳)を逆さまに頭に載せ其の三つの足に松明を灯(とも)し、更に、顔には丹を塗り、かつ、炎のついた松明を口にくわえる』という姿は、実に異様であり、この異様な姿は何に基づくものだろうか? 何か、『言われ』があるに違いない。

私は此の『鉄輪の女』の物語も、さることながら、この鬼となった此の女の異様な姿そのものに興味と関心がある。

このような姿にするには何か『言われ』があるのだろうか?もし、あれば、私は其れを知りたい。

2015年8月22日土曜日

日常性の中の不条理

私は、なんでもない日常性の中潜む非日常なことの不条理に関心がある。

それは誰にでも、いろいろな出来事として遭遇しえる体験でもある。
例えば交通事故。突然の心筋梗塞。巨大地震。竜巻。集中豪雨。等等

自分には無関係だと思いこんでいた非日常なことが突然我が身の現実となる。

今生において一番怖いものとは、要するに、このような『なんでもない日常に潜む非日常なことの不条理』ではないだろうか。

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今から何十年か前の或る夏、NHKラジオの日曜名作座という番組で、百鬼園夜話と題された語りが放送された。

日曜名作座は知る人ぞ知る長寿番組で当時、森繁久彌と加藤道子が担当していた。

その夏の或る週の毎日曜日の夜、一話限りの語りが放送された。

その頃、私は其の放送を寝ながら聞いていたものだが其の語りの内容自体は、いたって単純なもので、以下のような噺だった。

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『私』は或る用事で近所に外出することになった。

自宅は清閑な所にあり、『私』は『私』の妻の二人だけで其の家に住んでいた。外出したのは夏の暑い午後で、たいした用事ではなく直ぐ帰宅した。

いつも通り玄関から家に入り、いつもどおり居間に戻ってみると、家の中が、いつもと何か違って静かである。もともと清閑な所に在る家だから、静かなのは当然だが、その静けさが、何か、いつもと違う。

『私』は何となく落ち着かない気分に襲われる。

いつもどおりの居間を、よく見ると妻が居間の隅に居た。

しかし妻は死んでいた。

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ただ、これだけの話である。しかし、誰にでも起こり得る話でもある。

古関裕而の音楽と森繁久彌の語りだけの此の話は『あたりまえの日常の中に潜む非日常の怖さと不条理さ』。 ラジオという音声の世界だけであるが故に、聞く側に其のリアリティを与える。

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その頃、私は内田百閒は知らなかった。

上記の話が私には非常に印象的だったので、その後、内田百閒の小説を随分調べたが其の話自体は見つけられなかった。

たぶん、NHK担当者が脚色したのだろう。

私はもう一度此の日曜名作座の語りを聞いてみたい。

2015年8月18日火曜日

鈍感な人

鈍感な人は常にいるものだ。

私も其の一人だが、例えば、以下の例で示す人は私に言わせれば、やはり鈍感な人と言わざるを得ない。

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『盆踊り』という題の日記があるとする。

そこに以下の俳句がコメントとして書き込まれたとする。

『鮎宿で薩摩弁(なまり)を問い返し』

これは無名な人の俳句だが、私は秀句だと思っている。

この句を見て以下のように連想できない人は、私の言う鈍感な人だ。

鮎宿→鮎釣り→郡上八幡→郡上踊り→盆踊り

つまり上の俳句は『盆踊り』を連想させているのだ。

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このような連想が出来ない人は私の言う鈍感な人だ。

このような連想の出来ない鈍感さは私の最も厭うタチの鈍感さなのだ。

勿論、此れは私の他人に対する趣味の問題に過ぎない。

2015年8月17日月曜日

芥川龍之介の鴎外への失礼

以下は鴎外の作品である。

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褐色(かちいろ)の根府川石に
白き花はたと落ちたり、
ありとしも青葉がくれに
見えざりしさらの木の花
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芥川龍之介は、『文芸的な、余りに文芸的な』の中の『十三 森先生』で以下のように書いている。森先生とは森鴎外のことである。

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先生の短歌や発句は何か微妙なものを失っている。(以下略)
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果たして、そうだろうか。『微妙なもの』とは何か。所詮、芥川の主観に過ぎないではないか。
もし、そうだとすれば、芥川の上の言は鴎外に失礼ではないか。
失礼が語弊なら批評と言い換えてもよい。

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私は上の鴎外の作品・・・それを短歌と呼ぼうが何と呼ぼうが此処では問題ではない・・・に『微妙なもの』を感ずる者の一人である。 たとえ其れが畢竟私の主観であったにせよ