私はメンデルスゾーンの『無言歌集』のCDをもっている。
大きな声では言えないが此れは、昔、図書館から借りてダビングしたものだ。
このCDの原盤?は、図書館の音楽教材の棚に並んでいたものだった。つまり、ピアノ演奏の初心者向けの教材らしいCDだった。
今更言うまでもなく私は音楽の楽譜も読めないし、如何なる楽器も演奏できない、全くのスブの素人である。しかし幸いなことに聴覚は人並みにあるから音楽を聴くことはできる。
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そのようなズブの素人の私でさえ、このCDを聴くとき常に感ずるのは、いかにも楽譜どおりに弾いています、という『几帳面さ』だ。それはそうだろう、教材なんだから。
メンデルスゾーンの『無言歌集』は私は此のCDでしか聴いたことがない。いや一度だけ何とか言う演奏家のものを聴いたことがあるが其れは後述する。
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『お袋の味』という言い方がある。
例えば、結婚後、亭主が嫁さんの作った味噌汁に何か馴染めず、お袋のモノのほうが旨いとフト漏らして、嫁さんから睨(にら)まれる、という具合に。
私における、メンデルスゾーンの『無言歌集』は、まさに『お袋の味』に今やなっていて、この『几帳面な』演奏でなければ、何かモノ足りないものを感ずるようになってしまった。
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いつだったか、テレビで、何とかという著名な演奏家の演奏によるメンデルスゾーンの『無言歌集』を聴いたことがあった。私は其のとき、或るイヤラシサを感じたのだった。
音楽の演奏というものは、演奏者の解釈が必須らしい。楽譜どおりに弾くのは初心者だけであって、プロではない・・・というのが此の世界の常識のようだ。
私が感じたイヤラシサは、そのプロの『解釈』にあったのは明らかだった。
つまり、その『解釈』は、『お袋の味』ではない故に、或る不快さを私は感じたのだった。 勿論、これは私の主観に過ぎない。
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人は案外、自身に気づかぬとも、この『お袋の味』というモノに、意識下でも無意識下でも、影響を受けているようだ。『三つ子の魂百まで』という格言もある。
あるいは少し大げさに言えば、一種の『刷り込み』現象と言えるかも知れない。
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余談だが、メンデルスゾーンの『無言歌集』で私が好きな曲は7番目の曲だ。勿論、『几帳面な』演奏での。