10年程前、私は盛んに2CHを覗いていた。その頃の話だが、確か『溝口健二』のスレッドがあって、話題が溝口の映画『山椒太夫』に及んでいた。
そのとき誰だが以下のようなコメントを書いていた。
溝口の映画『山椒太夫』において、安寿を厨子王の妹にするのは、溝口は万死に値する。 そういうコメントであった。
私はそれを見て、大いに同感するとリコメントした、。
安寿を妹にするのは、溝口は全く鴎外の小説を理解していない、とも私は書きそえた。
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ここで鴎外の小説に登場する女性たちを思いつくままに列挙してみよう。
先ず、安寿。 『御寺院原の敵打』の「りよ」。 『安井夫人』の「さよ」。 『最後の一句』の「いち」。 『じいさんばあさん』の「るん」。 『澁江抽斎』の「五百」。等。
これらの女性たちには共通点がある。
外柔内剛型で自律心・自立心を秘めた、言ってみれば長女タイプである。
『最後の一句』の「いち」が其の典型である。
そして彼女たちは容姿は『じいさんばあさん』の「るん」が其の典型である。
鴎外の其の描写を引用してみよう。
『るんは美人という性(たち)ではない。もし床の間の置物のような物を美人としたら、るんは調法の出来た器具のような物であろう。』
こういう女性たちに対する鴎外の視線は明らかに好感をもっている。
いや、もう少し強く言えば、敬意をもって彼女たちを見ている。
それは小説を読めば容易に分かる。
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だから、安寿は厨子王の姉でなければ此の短編は成立しない。
安寿の献身は、その入水は、姉でなければ成立しないのだ。
ここらへんの綾(あや)を溝口たちは理解していない。
私が溝口の『山椒太夫』を愚作だと断定する利用は其処にある。
故に例の2CHのコメントに同感の意を私は書いたのだった。
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山本周五郎や藤沢周平の女性に対する視線は鴎外の其れと似ていると私は思っている。