昨年の暮れ、或るサイトでのポイントが1000になったというメールが届いた。使用期限切れになるというコメントがあり、1000円以下の商品が貰えると書いてあった。
その該当商品を調べると、別に欲しい物はなかったが、雑誌・文芸春秋(1月号)の電子版が貰えるそうなので、それを貰う・・・と言ってもPCで閲覧できるだけだが・・・ことにした。
当該雑誌の1月号は、戦後70年記念特大号と表紙にPRしてあって、高倉健の遺書等が掲載されている。読んだ人も多いだろう。
高倉健の遺書は、なかなか面白かった。
面白いと言えば語弊があるが、私は生前の高倉健という俳優さんには興味はなかったが、この遺書を読んで遅まきながら此の人に或るシンパシィを感じた。
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しかし、より興味深い記事は、『三島由紀自刃』という副タイトルが書かれた『介錯した男の後半生』であった。
例の三島由紀夫「切腹事件」は昭和45年だったが、このサイトの利用者でリアルタイムで知っている人も多いかもしれない。
私が今でも覚えていることは司馬遼太郎の此の「事件」に対するコメントだった。
司馬遼太郎は此の事件は政治的事件ではなく文化的事件だという趣旨のコメントをしていた。
確かに、そう言える「珍」事件であり、既に35年過ぎたが、政治史的意味は皆無だろう。意味を見出すとすれば其れは日本文化史においてだろうし、また三島由紀夫文学史においてだろう。
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この記事で私が興味深かったのは、介錯した男の後半生よりも、例の切腹現場の様子であった。割腹及び介錯の凄惨な現場記録は、背筋が寒くなるものがある。
三島の介錯は森田必勝がしたが、三島の首は三太刀を振るっても切断しなかったらしい。
事件後の解剖所見も此の記事に引用されているが、切腹なる行為は映画等で見るような「安易な」ものではないらしい。三島の切腹は「一人で死ぬ場合の切り方」なんだそうで、古式にのっとった所作ではなかったらしい。
正座の状態から切腹した体は前に落ちるか、後ろに反り返るかするらしい。
三島の場合は、あまりに深く真一文字に腹を切っているため、神経の極度の緊張から、はげしく後ろに反り返った可能性があるとのこと。故に介錯によって、一刀で「きれいに」首が切断しなかったということだろうか。
いずれにしても、切腹・介錯という現代からみれば野蛮な自殺行為は、必ずしも見栄えの良いものではなかったようだ。
尤も、人の死にかたは例えば交通事故のように、現代においては切腹よりも凄惨極まる場合があるだろうから、そういう意味では昔も今も変わらないと言えよう。
気の弱い小生は切腹など論外で、なんとか見栄えよくスッキリと逝きたいものだ。
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三島由紀夫の作品と言えば、私は数十年前、入院先の食堂に誰かが置き残していった『金閣寺』しか読んだことがない。三島由紀夫ファンの人には不愉快かも知れぬが、私には退屈な小説であった。好みは人それぞれだから仕方がない。