エリック・クラプトンのライブ・コンサートの日本公演の様子が先日、NHKアーカイブで放送された。確か2001年のライブの再放送だったと思うが、番組では此れが最後の世界ツアーで其の締めくくりとしての日本公演だとの解説していた。
(しかし、ネットで調べると2014年の日本公演も予定されているらしい。)
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実は私は彼自身も彼の音楽(ブルースやロック等)も全く無知だったが、ただ私と一歳違いらしいこともあって、また他の観る放送番組もなかったので、ちょっと覗いて観た。
私は此のテのコンサートは今迄観たことはなかったが、先ず彼の演奏スタイルが気に入ったこともあって最後まで観てしまった。
海兵隊員のような短髪で、半袖の地味な紺色Tシャツとジーンズ姿。ありふれたスニーカーを履いた足でリズムをとる何気ない演奏姿が、いかにも年輪の積み重ねを感じさせた。
そして私が最も気に入ったのは彼の顔である。歳を重ねた、まさに男の顔であった。
ギター云々よりも私は此の男の顔の味に惹かれた。
男性にも二種類あって、歳とるほど顔に味が出てくる者と、そうでない者がある。
概して男は後者が多いが、なかにはツマラナイ顔になる者もいる。
どのように生きてきたかは男は顔に歴然と現れるものだ。
歳をとる、ということは多くの男にとって無残なことではない。
なぜなら、多くの男は其の人生の積み重ねを深い陰翳として顔に残すからである。
私は其のような顔をエリック・クラプトンの顔に見た。その顔の魅力こそ私に此のコンサートを最後まで観てしまった主要な理由であった。
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女性にとって歳をとるということは、どうであろうか? 特に顔において?
彼は曲の演奏が終わると、アリガトとかドーモとか呟くように言うことが、たびたびあった。
彼がイスに座って何かの歌を歌い終わったとき、例のごとくドーモと小さな声で言った。そのとき彼は観客を見ていなかった。ふと、うつむいてステージの床をボンヤリと一瞬見たのだった。そのときの彼の表情は・・・確かに或る虚脱感を表していた。
この日本公演は海外公演の最後ということだったから、彼は疲れていたのかも知れない。
しかし私は其れだけでは無いような気がする。
彼が見せた一瞬の其の虚脱表情は、恐らく、彼の内面の深いところから由来しているものだと思われる。しかし其の由来の真実を知るものは恐らく此の世で誰もいまい。 (およそ人の真実とは決して他人には知ることの出来ぬものだ。)
彼の虚脱表情を換言すれば、彼の孤独性と言ってもよい。あの時の彼の一瞬の表情は誰も知り得ない彼の孤独を一瞬垣間見せたのだ。
この出来事は数秒に満たなかった。エリック・クラプトン本人すら気づかなかったに違いない。
しかし、私は其れを見逃がさなかった。
『歳をとる、ということ』。この厳然たる真実を、私は彼の其の一瞬の表情から我が身を刺されるように感じとった。