2014年8月12日火曜日

コンピューターへの恐怖

もう20年以上も前になるが『今日から君も強くなれる!!』と副題がついた、文字通り将棋入門書を図書館から私は借りたことがある。表紙には羽生善治の顔の漫画風の絵も描かれていた。この本の最初の数ページは漫画入りの将棋の駒の動かし方が書いてあって、私の「実力?」に適した本だった。

私は将棋は子供の頃から好きで、しかし、ただの好きなだけで実力は駒の動かし方を知っている程度に過ぎない。その頃、新しいPCを購入した時だったので将棋ソフトを買ってみた。このソフトは、その「強さ」の程度が上級・中級・下級と三種類で対局できるようになっていた。

そこで下級で、やってみたのだが私は連戦連敗!! いや驚いたね。パソコンの将棋なんて、どうせバカだろうとタカをくくっていたら、私如き者は下級でも全く相手にならなかった。「**抜き」という初心者向きの設定も出来たが、それでは私の自尊心が許さないので平手でやっていたが、私は「待った」「待った」を連発させてやっとPCを強引にネジ伏せる有様だった。そうして『ざまぁみろ』と一人満悦し、当事同居していた猫に「おい、勝ったぞ」と云ったりしていた。

思えば、定石を何万通りと「知っている」相手に、せいぜい駒の動かし方程度の知識しかない私なんぞが相手になるわけがない。私はろくに手筋も知らない。しかし所詮相手はたかが機械に過ぎない。

確かに機械に過ぎないのだが、こうも相手にされないと、私はパソコンに或る知性を感じざるを得なくなってきた。『2001年宇宙の旅』の、あのHALの不気味さを我のPCに私は実感し始めたのだった。確かに或る知性を私は私のPCに認めざるを得なくなった。

現在は私はその将棋ソフトとは無縁になったが、あの時私が感じたPCへの或る恐怖は今でもまざまざと覚えている。
***
おそらく、そんなに遠くない将来、コンピューターは知性のみならず感情をもつようになるだろう。感情をもったコンピューター。SFには既にあるだろうが、それが現実化しようとするとき、『人間性とはなにか?』という形而上の問題を人間は解答を得ているだろうか? 科学と倫理は、これから、あらゆる分野で相克するようになるだろうと私は思う。
***
科学の進歩の発展曲線はベキ級数(ネズミ算)的に比べ、倫理の発展曲線は・・・そもそも倫理は何千前から発展しているのだろうか?
倫理の裏づけのない科学の発展。それは相当深刻な問題を生むだろう。いや、まさに生み続けているに相違ない。HALどころではない恐怖が私たちを待ちうけている・・・