2016年7月22日金曜日

天理教のこと (その1)

私の父方の祖母は、熱烈なる天理教徒だった。

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この祖母の夫は下駄作り職人だった。

この祖母夫婦に生まれた初めての子供が、私の先の日記に書いた、おしんさんだった。 

私が想像するに、初めての子だから 「新(しん)」 と名付けたのだろう。しかし事実は私は知らない。

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先の日記に書いたように、此の、おしんさんは必ずしも幸福な人生とは言えなかった。

察するに、祖母夫婦にとって、おしんさんの死は、かなり辛いものがあったと思われる。

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おしんさんの死亡届を役場に出したのは、祖母の夫だということは、先の日記に書いた私の父の除籍謄本で私は知った。

この祖母の夫も早死した。おしんさんの死から何年後かは私は知らない。

もしかしたら、おしんさんの、無惨とも言える早死が、祖母の夫の死の一因だったのかも知れない。

余談だが、私の叔父にも、私は同じような 「死にざま」 を見ている。

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祖母には、おしんさんを含めて、子供が四人いた。

下駄作り職人の祖母夫婦が裕福であるはずがない。

この祖母は、この四人の子供のうち二人を、即ち、私の父と、おしんさんの妹、つまり私の伯母を、当時の師範学校に入学させた。

早死した夫の祖母への遺言が 『子供は月給取りにしてくれ』 だったそうである。

職人の辛さを知っての、祖母への遺言だったのだろう。

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決して裕福とは言えない、未だ若い独身の祖母の細腕で、祖母は夫の遺言を立派に果たしたと言える。

成長してからの私から見て、祖母の性格は、いわゆる宗教に頼る人には見えない。

それにも関らず、祖母は、最初に書いたように熱烈なる天理教徒だった。

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祖母の親戚に裕福な人がいた、とは私は聞いたことはない。

若き日の独身の祖母にとって、天理教という、当時の新興宗教は、恐らく、誰かに誘われての入信だったのだろう。

頼る者の無い者にとって、この新興宗教への入信は、私は理解できる。

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夫の遺言を立派に果たした祖母は、そういう意味で律儀な明治人だったとも言える。

それ故にこそ、入信したからには、祖母が熱烈なる天理教信者になったのも当然と言えるだろう。