先の記事に書いた『心の灯』の会の各友人についてのアレコレは別の機会に書くことにして、これらの友人たちと井之頭公園について書こう。
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私は井之頭公園の近くに下宿していた。
その下宿は、三鷹だか吉祥寺だかの市役所を定年退職した独身の女の人 (「はな」さんと言う人だった) の木造平屋の自宅の空いた部屋を、下宿として主に大学生に貸していた。
私は学生ではなかったが、似たような年頃だから私にも貸したのだろう。3畳の部屋だった。
因みに、私の大学生の頃も、建てつけの頗る悪い木造アパートの3 畳の部屋に自炊で下宿していた。
「はな」さんの3畳の部屋は、初めて入ったときは、3 畳の畳と、一つの押し入れ以外、文字どおり何もなかった。水道と便所は「はな」さんが使っていたモノを使った。
余談だが、「はな」さんの自宅は、もう一つ空いた部屋があって、それは6 畳の部屋だった。
私が 3 畳の部屋に入った年の春、6 畳の部屋に下宿していた大学生が卒業し就職して、借りていた部屋から出ていったそうだ。
「はな」さんは子供は無く独身を通し、役所勤め生活一筋の人生だったらしい。
生真面目な人であることは、私が初めて挨拶したときから分かっていた。
「はな」さんは、6 畳の部屋に下宿していた大学生を気に入っていたようで、その大学生がいなくなってからは、淋しくて淋しくて堪らないと涙を流さんばかりにウルウルの状態で私に話かけたものだった。
実は、後日、この善良なる「はな」さんに、まさに涙を流して、私は叱られることになるのである。その話は別の機会に書く。
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ともあれ、私は、「はな」さんの下宿から井之頭公園へ出かけたものだった。
その途中に、木立や草の茂った昼なお暗い細い小川があって、その端道を歩いたものだった。玉川上水だった。
この小川で太宰が自殺したのか思いつつ歩いたものだ。
私は柄にもなく、『心の灯』の会というミニ、ミニ、コミュニィティの「副会長」みたいな存在になっていたから、なにかというと、『心の灯』の会の各友人は、井之頭公園に集まって談合したものだった。
そういうとき、家内は・・・そのときは結婚はしていなかったが・・・必ず、自宅で弁当を作ってきて、『心の灯』の会の各友人たちに、ふるまった。
その弁当には、たいてい、焼き肉が入っていた。
其の友人たちは全て貧乏人たちばかりだったから、私を含め、喜んで食ったものだ。
公園の木陰にゴザを敷いて、そこに円坐して、誰へだてなく談笑するのは実に楽しかった。
会員の一人に、確か佐藤と言う名前のカメラ好きの男性がいて、『笑っちゃう』というのが口癖だった。
彼が或るとき、円坐の我々の談笑の姿を望遠レンズを使って写した。その写真は、我々の青春の姿を素直に写した良い写真だった。
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後日の話になるが、家内が其の写真を保存しているはずである。
今や、あれから半世紀ほど時が過ぎた。
彼等との交流は今はない。
今生から去った懐かしき友人がいるかも知れない。
それは我が身にも言える。