2016年7月13日水曜日

Cogit erg sum

私は大学一年生のときのドイツ語の教科書は未だ手元にある。
その教科書は大学の修士過程の入学試験科目にドイツ語があって、そのために必要だった。何かに役に立つだろうと思いつつも、古稀を過ぎた現在まで結局、使用することはなかった。
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私は高校生のときに使った数学の教科書も未だ手元にある。この教科書は私の在職中も役に立ったし、退職後の私の或る「お遊び」にも役にたった。
先の私の或る日記にも書いたことだが、私は数学の教科書に落書きをする悪癖があった。今、その教科書を見ても、いろいろな落書きが、支離滅裂に、なぐり書きしてある。例えばホイットマンの或る詩の断片や、漱石の『学問は道楽なり』とか、「奥の細道」の冒頭の一節とか、杜甫の『春望』とか、『Many talik philosophers and live like fools』とか、等等。
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私は、別に知識を得るために、それらの落書きを書いたのではない。
昔より、私は、なんとなく気に入った言葉を覚えたり、落書きしたりすること自体が好きだった。
杜甫の『春望』は中学生の頃知り、大いに気に入り暗記したものだった。
芥川龍之介の『鼻』の冒頭の箇所も、なんとなく気に入り覚えるともなく覚え、私なりの奇妙なアクセントをつけて、その箇所を数歳下の妹・・・数年前、乳がんで死んだが・・・に喋り、妹を煙にまいて楽しんだものだった。
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上記した数学の教科書に、『Cogit erg sum. Rone Decartes』と落書きしてある。何かのキッカケで此の言葉を知り、これも何となく気に入り、落書きに添えたのだろう。
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私は、大学一年生のときドイツ語の授業を受けた。そのときの先生は若い女性で、・・・この先生については面白い話があるのだが別の機会に書く・・・そのドイツ語の教科書に、Ich denke,also bin ich. (Descartes) という言葉が載っていた。
先生は生徒たちに向かって、こう言った。
『これ、ラテン語で何て言うか知ってる?』
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生徒たちは、皆んな黙っていた。少しシラけ気味だつた。
先に書いたように、私は落書きで実は知っていた。
しかし私は黙っていた。私が発言したら、よけいにシラけるように思ったからだ。
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これは、私の若き日の、思い出という屑箱に在る一つである。