2016年7月24日日曜日

『他者を食う』ことの是非 (その2)

また、私は以下のようにもリコメントした。
-----------------------------
霧吹き状の殺虫剤が発売された頃、野坂昭如が言ってましたよ。

アレは子供の教育上、よろしくない。殺す、ということが、どういうことか子供に知らしめるには不適切だという趣旨の発言でした。

蠅やゴキブリを蠅叩きで、叩っき殺して、「害虫」がハラワタなど出しながらジタバタ苦しみながら死ぬのを目撃することこそ、殺すということが、どういうことか子供は知るんだ・・・と言ってました。

半分、冗談ですが一理あるなと私は聞いていました。
----------------------------------

この私 (Zと呼ぶことにする) のリコメントに対して、 或る人 ( Aさんと呼ぶことにする) Aさんは以下のようにリコメントした。
---------------------------------
縄文と外れるなんてとんでもない!ドンズバでしょう!

狩猟採取の縄文人の常識が、現代人の異端

Zさんのご提案は、現代人と縄文人の精神性の違いを最も端的に表現してらっしゃるかと・・・
---------------------------------

この Aさんのリコメントに対して、私は更に以下のように発言した。
--------------------------------
いっそのこと、縄文時代のように自分で殺さないと食べちゃダメ! とかにすれば、 個人個人、納得のいく殺し方が出来て、美味しさもありがたさも倍増するのに・・ですよね。

鶏なんか、恐らく、毎月日本人の大人の人口以上に殺されてますから、月に一人1羽くらい 「手ゴロシ」 して、 「手ゴロシ免許」 を提示した人だけ、ケンタッキーを食べられるとかにすれば、肉のありがたみも増すのかなぁ・・なんて。

また、免許制にすれば人を殺してみたかった・・なんて犯罪も縄文並みに減るのかなぁ・・と勝手に想像しています。

現在、なぜ今縄文人が見直されているのでしょうか?

要するに、人類の文明化によって、生物としての人類が心身共に脆弱化している
ということですか?
----------------------------

この私のリコメントに対して、Aさんは以下のようにリコメントした。
------------------------------------
この話題も、さまざまなジャンルの方々に、様々な観点から深くご考察いただければ、縄文人と現代人の死生観の違いにまで踏み込めるかも・・・と。
------------------------------------

そこで私は、以下のようにリコメントした。
------------------------------------
要するに、人類の文明化によって、生物としての人類が心身共に脆弱化している ということですか?
----------------------------------
***
話が死生観に及んできたので、この時点で私は以前此のサイトに書いた鴎外と漱石の死生観についてリコメントした。