2016年7月16日土曜日

井之頭公園の思い出 (その3)

私が大学三年生の頃だったと思う。

或るとき、私は新聞の下のほうに小さく書かれた、或る宣伝を何げなく見た。

それは数行で書かれた、『詩を作ってみませんか。(心の灯の会)』という趣旨の、一般市民へのPRだった。

主催者の名前と連絡先と集合場所 (都内の或る喫茶店) が書かれていた。

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そのころ私は学校生活に或る不満を感じていた。

理工系関連のみの受講への不満、と言ってしまえば恰好はいいが、それも有るにはあったが、男性、女性は問わず、もっと親密な友人関係を求めていた。

学校には、それなりに友人はいた。しかし、なにかモノ足りなかった。

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そこで、上記した『心の灯の会』なるものに出かけてみた。

そしたら確か五、六名の人がいた。主催者 (Nさんと以下呼ぶ) と、二十代頃の若者たちがいた。その若者たちも新聞の広告で、その会を知ったそうだった。

N さんは、三、四十代の年配の人だった。特定の職業はもっていず、自らの意志で其の会を立ち上げたとのことだった。

毎月一回、定例で其の会を行い、会費は、確か100円ではなかったかと記憶している。

定例の会の開催場所は、都内にある無料の小さな集会所・・・名前は忘れてしまった・・・とのことだった。

その開催場所で、自作、他作の詩を各自、披露するとのことだった。

私は其の会の趣旨に賛同し、毎回、指定された場所へ出かけた。

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出席者は新人も入れて毎回、変わっていたが常連が五、六名居た。

実は、私の現在の家内も其の一人だった。

また、熊本から上京してきて赤坂の小料理店の板前をしている若者 (以後 H 君と呼ぶ)も、常連の一人だった。彼は将来、小説家になるという夢をもっていた。H 君は私より一歳、上だった。

また他の常連は、新潟からだったか上京してきた法政大学の学生だつた。名前は失念してしまったが、顔は今でも、うっすらと覚えている。彼を仮に、A 君と以後、呼ぶ。

また、確か、札幌から上京して医療関連の学校に通っている、私より一歳、下の女性もいた。たしか、O さんと言った。

A 君は片脚に障害があったが、松葉杖は使っていなかった。ただ、片脚を少し引きずるようにして歩いていた。

私は此の会を去るまで気が付かなく、後日、家内から知らされたのだが、O さんも脚に障害があったそうだ。

此の会の常連の、私の忘れざる常連の若者たちが未だいたが割愛する。

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ともあれ、上記した若者たちやNさん、及び、私の母程度の歳頃の女性の K さんは、井之頭公園と関連した、私の青春における忘れ難き人々である。