2016年7月20日水曜日

『心の灯の会』のこと。(その5)

私の通学経路は、下宿→池袋駅行きのバス停→池袋駅→高田馬場駅→大学、だった。

下宿→池袋駅行きのバス停までの距離は徒歩で数分だった。

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そのバス停の近くに肉屋があった。私は其の肉屋で、牛肉の、一番安いバラ肉を、数日毎に買っていた。常に100gだった。たしか100円程度だったと記憶している。

バス停の近くには八百屋もあったと記憶している。そこでネギ等を買っていた。

それらの肉やネギを使って自炊するのだが、たいていは『すき焼き』もどきを作っていた。

その頃、私は子供の玩具のような小さな炊飯器と、小さなフライパンを各 1個と茶碗数個だけしか、もってなかった。

『すき焼き』もどきを作ったときには、皿はなかったから、フライパンの中のモノを、つまんで食うのであった。さすがに箸はあった。

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あるとき、赤坂の小料理店で働いていた H君が私の下宿を訪れたことがあった。

彼の下宿は先の日記に書いたとおり立派な洋室だったが、私のボロ部屋を見て、なんと評したかの記憶はない。たぶん苦笑いでもしたかも知れない。

先に書いたように私のボロ部屋には電気炬燵さえなかったから、彼が私のボロ部屋を訪れたのは、たぶん夏頃だったと思う。

何を語りあったかも覚えていないが、彼は私のボロ部屋に一泊することになった。

あの狭い我が 3畳の部屋で二人が、どのようにザコ寝したのかも覚えていない。

ともかく朝になって朝飯を食うことになって、私は例の『すき焼き』もどきを作り、それを彼も食べた。

その味について何も彼は言わなかった。ただ、一つだけ彼が言ったことを今でも覚えている。彼は言った。

『食べて、何も感じない、ということは、つまり料理が上手いということだよ。』

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私と彼の間柄は「おせじ」を言いあうような関係ではなかった。彼が言ったことは「おせじ」だとは思わなかった。

私は、そのとき、内心、思ったものだ。
『料理のプロが、そう言うんだから、オレは料理が上手いんだ』と。

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後日のことだが、私の家内・・・彼女も『心の灯の会』の常連の一人だったのだが・・・に、その逸話を話すと彼女は苦笑するだけで何も言わない。

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さて自炊のことだが、自炊するのは、たいてい夕飯や、学校が休日の時だけだった。

それ以外は大学の学生食堂や、大学に通う道端にある大衆食堂で食事はすませていた。

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大学の学生食堂で今でも覚えていることがある。

一つは早稲田大学の本部から、文学部へ行く途中に『おふくろ』という学生を対象にした店があった。
(今でもあるのか、どうかは知らない)。

その『おふくろ』で、私は「すき焼き」を食ったことがあった。私の自製の『すき焼き』もどきに比べれば、はるかに本物の『すき焼き』に近かったのは言うまでもない。

もう一つは、私が通っていた理工学部・・・当時、この学部は早稲田大学の本部から離れた、新大久保に近い所にあったのだが・・・の学生食堂では、たいていクジラの焼き肉が出た。

此のクジラの肉が、恐ろしく、スジばっていて、食いちぎるのに大いに苦労したものだった。

後年、私はクジラとは違った意味で付き合うことになる。

それについては既に、先の記事『電気メスのこと(その4)』に書いた。