私は小さい頃より、犬・猫が好きだった。子供の頃の猫の話は、以前『天理教のこと
(その2)』に書いた。
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以下、思い出すままに、私と出会った猫について、それぞれ記しておこう。
1. 私の家内の実家は都内・中野区にあった。この話は私共が未だ結婚していない頃のことだ。現在は、どうなっているか知らないが、当時(昭和40年代の中半頃だったと思う)、中野公民館の近くに『紅葉山公園』が在った。
我々は、そこで、いわゆるデートをしていたのだが、薄暗くなる時分だったと思ったが、何処からか猫の鳴き声が聞こえてきた。
家内も犬・猫等の動物好きだったので、我々は其の鳴き声の方へ近づいて行った。そしたら、果たして一匹の猫がいた。明らかに野良猫だった。家内宅では其の頃は猫を連れて帰る状況ではなかった。たしか、家内が、何処からか牛乳を買ってきて其の猫に与えた。そして、暫く其の猫と一緒に居たが、夜もふけてきたので、我々は其の猫を、その場に残して去った。今や、私は、其の猫の毛なみや姿も思い出せない。
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2. 私が家内と結婚して、家内の自宅に、言わば「いそうろう」していたのだが、結婚後、一年程過ぎた頃だったと思う。
或る早朝、家の近くで、弱弱しい猫の鳴き声が我々夫婦の耳に聞えてきた。家内が早速、その声の方へ行ってみると、家の近くに子猫がいた。家内は其の猫を家に抱えてきた。そして私も猫好きなこともあって家内宅で飼うことにした。
その頃、家内宅には家内の実母が居た。この人は必ずしも犬・猫が嫌いではないにしても、特に好きというのでもない人だった。此の猫を飼うことにしたのは、私への遠慮もあったのかも知れない。
その頃、畑正憲の『どんべー』に人気があった。そこで、我々も其の猫に『どんべー』と名付けた。この猫は黒猫であった。この猫が一代目の『どんべー』である。実は、後日、二代目の『どんべー』を我々は飼うことになるのである。
その何年後か忘れたが、私の職場が栃木県に移転することになった。我々夫婦、及び家内の実母も栃木県に引っ越すことになった。そこで問題となったのが、この一代目の『どんべー』も其処へ連れていくかどうかだった。
何処かの人が貰ってくれるように、家内は、いろいろな人と相談したようであるが、そのような人は居なかった。生憎、この一代目の『どんべー』は猫としての「魅力」が欠いていた故もあったのだろう。
結局、一代目の『どんべー』も栃木県へ連れて行くことにした。東北本線の上野から西那須野駅まで、どのようにして連れていくか、が問題であった。その頃は東北新幹線はなかったから、普通列車で、上野から東北本線の西那須野駅まで数時間かかった。
今では列車内に動物専用の部屋か何かが有るのかも知れないが、当時は無かった。
そこで私は一代目の『どんべー』を適当なダンボール箱に入れて、私が其のダンボール箱を抱えて列車内に乗りこんだのだった。
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私は犬・猫に関しては、ちょっと説明が出来ない不思議といえば不思議な体験を何度か体験している。この、一代目の『どんべー』にも其の体験がある。
この猫は普段は家に居ることはなく、何処かで、遊びまわっている猫であった。
しかし、私たちの引っ越しの時点のとき、この猫は、家でジッとしていて、遊びに行く様子はなかった。引っ越しのための人の出入りが普段より多いのに、ジッとして動かなかったのである。だから私は、らくらくと、一代目の『どんべー』を例のダンボール箱に収めることができた。
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現在、それを思い出すことがあるが、一代目の『どんべー』は、自分が、我々と一緒に連れて行かれることを「知っていた」としか私には思われない。
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ちなみに家内の実母は、生粋の江戸っ子の末裔だった。普段は不平らしいことは言わない人だったが、中野の家から上野駅までタクシーに乗って行ったのだが、その途中、見なれた新宿あたりの景色をみて『おなごり、おしいね』とつぶやいた。
事実、この人は二度と上京することはなかったので、私は此の人の其の「つぶやき」が未だ私の耳の奥に残っている。
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その後の話になるが、この家内の実母が引っ越し先で亡くなったとき、一代目の『どんべー』は、また不思議な行為」をするのである。