2016年8月28日日曜日

「小夜の中山」のこと

私の生まれ故郷である、静岡県の旧金谷(かなや)宿は、現在の島田市金谷だが、現在、どうなっているのか、その土地の有りようを知りたくなって、グーグルマップで調べてみた。
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私の本籍地は其処にあるので、本籍地を検索欄に書き込み、調べたのであるが、全く変貌していたのには驚いた。
懐かしき、あの山、あの川が全く認識できないのである。

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昔の私のボロ家は、かげかたちも無く、全く別の町に変わり果てていた。
それはそうだろう。私は半世紀以上も、故郷である、旧金谷町を訪れたのは一度もないのだから。
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現在、私が住んでいる所だって、そうだ。私ども家族が引っ越して来た頃より、この町も随分、変わった。
このところ、私は外出する機会は、或る病院へ通院するだけで、毎日、毎日、仙人よろしく、私の部屋に一匹の猫と蟄居したままだ。テレビを見るのは午後5時半から長くて、7時まで。
新聞は、ほとんど、というより全く読まない。本も最近は全く読まない。
そうなら新聞など、とらなくてもよいのだが、家内が読むということなので、仕方なく、とっている。 そんなわけで、現在の我が町の変貌すら私は知らない。
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閑話休題。
昔のことだが、誰だったか忘れたが、「小夜の中山」を、静岡県ではなく、これまた忘れたがナントカ県に在ると言っていた。
勿論、私は、「小夜の中山」は我が故郷近くにあるから、その某の言には噴飯ものだった。しかし、私だって、来し方を顧みると、私自身が「噴飯もの」だから、その誤りを嗤うわけにはいかない。
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試しに、小夜の中山をWikiで調べると、以下のように書いてある。
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小夜の中山(さよのなかやま)または佐夜の中山(読みは同じ)は、静岡県掛川市佐夜鹿(さよしか)に位置する峠。
最高点の標高は252m。古くは遠江国の東部に属し、宿場では金谷宿と日坂宿の間に当たる。頂上には真言宗の久延寺、西側の麓の日坂宿の入口には事任八幡宮があり、多くの人々が旅の安全を願って立ち寄ったと伝わるほか、遠州七不思議の一つで、赤ん坊の泣き声を発したとの伝説を持つ夜泣き石がある。
古くから、箱根峠や鈴鹿峠と列んで、東海道の三大難所として知られる。
また歌枕として古今集などで歌われ、鎌倉時代初期に西行法師が詠み新古今和歌集に入れられた「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」の歌碑などが存在する
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ちょっと話題を変えるが、私の母は、当然、私同様に旧金谷宿の産だが、後年、比較的軽いアルツハイマー病に罹った。
旧金谷宿の土地の人は 「小夜の中山」 を 「さやの なかやま」 と呼んでいたと私は記憶していたので、母に其れを確認したことがある。
アルツハイマー病でも、結構、昔のことは覚えているもので、やはり 『「さやの なかやま」だよ』 と母は、私の確認に答えたものだった。
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私が、昔、買った 『平家物語の世界』(NHK放送ライブラリー) という本があって、その本で、「小夜の中山」 を紹介している箇所がある。その箇所でも 「さやの なかやま」 と読ませている。「よ」 と「や」 の違いだけであるが、その土地近辺の人から言わせてもらえば、その違いは大きいのである。「小夜の中山」 のイメージが、大変、変わる。
そう思っているのは、あるいは、私だけかも知れない。
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私が小学生の頃だったか、「さやの なかやま」 へ遠足に出かけた記憶が私にある。

そのときの、「さやの なかやま」 の、私の現在の脳髄の中に記憶しているイメージは、
『昼なお薄暗い、鬱蒼とした林の中に存在するモノ』 である。

そのイメージに残響しているモノは、あの西行の歌である。
勿論、私の大好きな歌の一つだが、好きというよりも、私という者の、一つの原型となっている。
『年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山』
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この現在の「さやの なかやま」 近辺は、現在の私の住まい同様に、全く、変わり果てていることだろう。