2016年8月5日金曜日

日常性の中の不条理

私は、なんでもない日常性の中に潜む非日常なことの不条理に関心がある。

それは誰にでも、いろいろな出来事として遭遇しえる体験でもある。例えば交通事故。突然の心筋梗塞。巨大地震。竜巻。集中豪雨。等等

自分には無関係だと思いこんでいた非日常なことが突然我が身の現実となる。

今生において一番怖いものとは、要するに、このような『なんでもない日常に潜む非日常なことの不条理』ではないだろうか。

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今から何十年か前の或る夏、NHKラジオの日曜名作座という番組で、百鬼園夜話と題された語りが放送された。

日曜名作座は知る人ぞ知る長寿番組で当時、森繁久彌と加藤道子が担当していた。

その番組は毎日曜日の夜、一話限りの語りで15分程度だったと記憶している。
その頃、私は其の放送を寝ながら聞いていたものだが、その夜に放送された語りは今でも鮮明に覚えている。

其の語りの内容自体は、いたって単純なもので、以下のような話だった。

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『私』は或る用事で近所に外出することになった。

自宅は清閑な所にあり、『私』は『私』の妻の二人だけで其の家に住んでいた。外出したのは夏の暑い午後で、たいした用事ではなく直ぐ帰宅した。

いつも通り玄関から家に入り、いつもどおり居間に戻ってみると、家の中が、いつもと何か違って静かである。もともと清閑な所に在る家だから、静かなのは当然だが、その静けさが、何か、いつもと違う。

『私』は何となく落ち着かない気分に襲われる。

いつもどおりの居間を、よく見ると妻が居間の隅に居た。

しかし妻は死んでいた。
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ただ、これだけの話である。しかし、誰にでも起こり得る話でもある。

古関裕而の音楽と森繁久彌の語りだけの此の話は『あたりまえの日常の中に潜む非日常の怖さと不条理さ』の一例である。 

ラジオという音声の世界だけであるが故に、聞く側に其のリアリティを与える。
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その頃、私は内田百閒は知らなかった。

上記の話が私には非常に印象的だったので、その後、内田百閒の小説を随分調べたが其の話自体は見つけられなかった。

たぶん、NHK担当者が脚色したのだろう。

私はもう一度、此の日曜名作座の語りを聞いてみたい。