トッチャンとは私が、たまた遭遇した猫の名前である。いずれの猫も「捨て猫」だった。一番目のトッチャンについては、すでに書いた。
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二番目のトッチャンは、一番目のトッチャンが死んでから、たぶん一年程、過ぎた頃、たまたま遭遇した。それは、今から何年前になるだろうか、私の母が未だ存命中だから、かれこれ十年程前になるだろう。
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その頃、私共夫婦は、未だ健在だった犬を連れて、近くの神社付近を散歩するのが常だった。その散歩道の途中に栗林があった。或る秋、その栗林を通り過ぎるとき、ニャーという鳴き声が聞こえた。
その方向を見ると、一匹の猫が、栗の木の曲がった枝に座って我々を見ていた。
我々は其の猫に近づいて見ると、一番目のトッチャンに毛の色が似ていた。
歳は一歳頃に見えた。
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我々が近づいても其の猫は逃げるでもなく、じっとしていた。
『(一番目の)トッチャンに似ているね』と家内が言った。毛の色が似ていたのだ。『逃げないから、どこか近くで飼っている猫かも知れない。』ということで、我々は其の猫を、そのままにして、散歩を続けた。
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その日の夕方、家内が、買い物の帰りに、一人で興味半分に、猫が居た栗林に行って、口笛を吹いたら、その猫が遠くから、栗林の落ち葉をガサゴソさせて家内に近づいてきたそうである。
この猫を初めて見たときより、半日ほど過ぎていた。
その頃、私は未だ母宅に居た。そして、家内から携帯電話が私にかかってきた。
『この猫、どうする?』
私は答えた。『ともかく、ここに連れておいでよ。』
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かくして、此の猫は、一番目のトッチャンが、そうであったように、母宅と私と此の猫の同居が始まった。ただ、此の猫は、一番目のトッチャンのような障害は何もなかった。なにはともあれ、かかりつけの動物病院へ連れて行った。メス猫だったので避妊の手術を受けさせることにした。何かの予防注射もさせた。
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この猫は、一番目のトッチャンが、そうであったように、闊達な猫だった。
その頃も、夕飯は母宅で、私と家内と母が食べていた。家内が私共の自宅に帰るとき、この猫が二階に居ると、家内が口笛を吹くと、二階から、らくらくと地面に跳びおりたものだった。
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この猫が母宅に居るようになって、一年ほど過ぎた、或る日より、此の猫が、突然、姿を消した。数日、たっても姿を見せない。私は心配になって、近所を探しまわった。もしかして、と思い、例の栗林も探しに行った。しかし、一向に見つけることは出来なかった。
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そんな日が何日か続いた或る日のことだ。私は『一体、何処へ行っちまったんだろう』と思いつつ、探しに行こうと玄関に立って、ふと、庭の木を見たら、トッチャンが、その木の枝に、ぶるさがっていた
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私は驚いて、そこへ行ってみたら、トッチャンは、冷たく硬直していた。
具合の悪いことに、その木の枝が二股に分かれていて、その間に、トッチャンの頭部が挟まっていた。「首吊り」状態になっていたのだ。
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運が悪いというものは、あるものだ。何かから跳ぶ移ろうとした際に、その木の枝の二股に首が挟まってしまったのだ。あの敏捷なトッチャンが、と私は絶句した。
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この件を例の動物病院の先生に話したら、首輪をした猫には、そのような例があるそうだ。しかし、トッチャンは首輪は、してなかった。
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我が家の庭木で命を落とすとは!! 私は其の枝を、直ぐ、へし折った。
トッチャンが、木の枝に挟まるとき、ニャーとでも鳴いてくれたら私は直ぐ、かけつけたのに・・・。おそらく、グーの声も出せず、手足を空しくバタつかせながら絶命したのだろう。
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私は、我が家の庭で絶命したのを思うと、この猫が不憫でならない。
私は此の猫も、一番目のトッチャンの近くの地面に埋めてやった。