2016年8月8日月曜日

怖い俳句

或るサイトの或る人が言った。『怖い俳句ってあるんですか?』
なるほど俳句と言えば、花鳥風月とまでも言わないにしても、およそ「怪談」みたいなモノとは無縁と思っている人がいるかも知れない。
しかし怖いモノに出会ったという趣旨の俳句は山程あるだろう。
だが、俳句そのものが怖いという俳句は恐らく稀だろう。
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『俳句そのものが怖い』という俳句が実はある。
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芥川龍之介に『点心』という随筆がある。
この中で江戸前期の俳人・池西言水の俳句が紹介されている。
言水の此れら俳句を芥川はこう評している。
『言水の特色は何かと言へば、それは万人が知らぬ一種の鬼気を盛り込んだ手際にある思ふ。』と。
芥川が紹介している其の言水の句を以下に引用しよう。
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「姨(をば)捨てん湯婆(たんぽ)に燗(かん)せ星月夜」

「黒塚や局女(つぼねをんな)のわく火鉢」

「御忌(ぎょき)の鐘皿割る罪や暁(あけ)の雲」

「つま猫の胸の火や行く潦(にはたづみ)

「夜桜に怪しやひとり須磨の蜑(あま)

「蚊柱(かばしら)の礎(いしずえ)となる捨子(すてご)かな」

「人魂(ひとだま)は消えて梢(こずえ)の灯籠(とうろ)かな」

「あさましや虫なく中に尼ひとり」

「火の影や人にて凄き網代守(あじろもり)

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私が此れらの言水に惹かれるのは、芥川が指摘しているように 『(句の中に)漂う不気味さである。
怪談好きの私は、此れらの池西言水の句を「怖い」と感ずる。
特に、以下の俳句は、たった17文字だけだから、読み手をして、いろいろと想像をかきたてる。

「あさましや虫なく中に尼ひとり」

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いや、ちっとも怖くないよ、と思う人もいるかも知れない。
感性の問題である。その感性が良し悪しを私は言っているのではない。
所詮、趣味の問題である。
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なお、芥川の『芭蕉雑記』という随筆の最後の章に、芭蕉の「怖い」俳句が紹介
されている。引用してみよう。
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   骸骨の画()

 夕風や盆桃灯(ぼんぢょうちん)も糊(のり)ばなれ

    本間主馬(しゅめ)が宅に、骸骨どもの笛、鼓をかまへて
    能する所を画(えが)きて、壁に掛けたり(以下略)

 稲妻(いなずま)やかほのところが薄(すすき)の穂  
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さて、この芭蕉の句を諸氏は「怖い」と思うだろうか。
少なくとも私は怖い。