2016年8月24日水曜日

あさま山荘事件のこと

あさま山荘事件とは、Wikiで見ると、以下のように書いてある。
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あさま山荘事件または浅間山荘事件は、1972年2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が人質をとって立てこもった事件である。
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1972年といえば昭和47年だが、・・・こういうところが元号の不便さである・・・、どうも其の年が私の記憶と食い違いがある。
ともあれ、この事件のとき、私は大学の研究室の先生の指示で、或る小さな町工場(こうば)に、手伝いに行かされた。
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その工場は従業員が五、六名だった。その工場にはテレビが置いてあった。
例のあさま山荘事件の当日も、私は其の工場に出かけた。
この事件の現場の状況は、NHKでは、終日、放送されていた。
そこで、其の工場の社長が言ったものだ。
『こんなものは、一生のうち、見られるのはマレだ。みんな仕事を止めて、テレビを見よう』
当然、私や社長を含め、全従業員はテレビだけを見ていたものだった。
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実は、植垣康博の兄貴は、私が通っていた中学校で同級生だった。少し色黒で、背筋をピンと正し、いかにも優等生って感じだった。当時の其の学校の担任の教師が言ったものだ。
『おまえら、植垣を見ろ。きちんと座れ』。そう言われた植垣は苦笑いをしたのを、私は、ありありと覚えている。
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その中学校で思い出したことがある。話が全く飛ぶが、その学校の生徒たちは、必ず、何かの、倶楽部に入っていなければならなかった。
そこで私は『園芸部』に入った。その倶楽部は見知りの友人たちが五、六名いた。
その『園芸部』の活動はーーーーもっぱら、友人たちとダベりながらの雑草とり、というと恰好がつくが、要するに、しゃがんで周りの雑草をイイカゲンに、むしりとるだけだった。
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我らはボンクラ生徒たちだったが、かの植垣は何の倶楽部に入っていたかは知らない。

たぶん、柔道部あたり、だったろう。