『 誰一人 客はわらはぬはなしかの工(たくみ) さびしさ。 われも笑はず 』
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このうたの 「さびしさ」 は、釋超空の、いろいろな 「うた」 の 「さびしさ」 とは少しヴェクトルの方向が違う。
一口に喜怒哀楽というが、「笑う」 はこの喜怒哀楽の中にあるのか。
笑は喜怒哀楽の範疇にはないように私は思う。
喜怒哀楽は人間以外の他の動物の情動でもありえると思われるが、この世の動物で人類以外に 「笑う」
動物がいるだろうか。おそらく、いまい。
尤も、もしかしたら、類人猿の類は 「笑う」 に似た行為が、あるのかも知れないが。
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以前、ラジオを聞いていたら 「能楽」
と 「狂言」 のいずれかが難しいかという話題になった。そのとき、ある狂言師が
「狂言のほうが難しい」 と言った。
この場合、何をもって 「難しい」
とするかを詳しく定義しなければ話が混乱するが、通常、人を笑わせるということには、人を 「喜怒哀楽」 せしめるより、より高度な工(たくみ)が必要だろう。
客が笑ってくれない落語家は、さぞ、つらかろう。
( 「はなし」 が、いわゆる人情噺ならば、それは別問題だが)
しらけた客の前の落語家の 「つらさ」
を釋超空は 「さびしさ」 と言った。
なるほど、客席からおり楽屋に戻った其の 「はなしか」 は 「さびしい」 に違いない。
これも人世の切実な寂しさの一つだと言えるだろう。